('A`)ドクオが一歩踏み出したようです 「参考資料」

250: ドS ◆DOS.18R.Tg : 2006/03/19(日) 16:23:43.91 ID:oppZiw280
参考資料『ハインゼンブルグの不確定性原理』

不確定性原理(ふかくていせいげんり、英語:Uncertainty principle)はある物理量の組み合わせにおいては、
測定精度に上限があることを示す原理。
例えば、粒子の運動量と位置を同時に測定した場合に当てはまるが、これ以外の物理量の組み合わせにおいても有効である。

位置をより正確に観測する為にはより正確に「見る」必要があるが、
極微の世界でより正確に見る為には、波長の短い光が必要であり、
波長の短い光はエネルギーが大きいので観測対象へ与える影響が大きくなる為、
観測対象の運動量へ影響を与えてしまうからである。位置を正確に測ろうとするほど、
対象の運動量が正確に測れなくなり、運動量を正確に測ろうとすれば逆に位置があいまいになってしまい、
両者を完全に正確に測る事は絶対に出来ない。

この原理は1927年にハイゼンベルクによって提唱される。量子力学の基礎原理の一つとされ、
その発展に大いに寄与した。 ただし、量子力学の基礎が整備された現在は、他のより基礎的な原理から導かれる「定理」となっている。



723 :ドS ◆DOS.18R.Tg :2006/03/24(金) 16:48:30.15 ID:3gE6U5nt0
ファラデーの話をしよう。
荒巻が夢見た、あの科学者ファラデーの話である。

マイケル=ファラデーは1791年にイギリスの貧しい鍛冶屋の次男として生まれた。
高度成長の中、インフレにより家族は酷い貧困に悩まされ、ファラデーは製本屋に口減らしを兼ねて奉公に出された。
ファラデーは教育に飢えていたためか、その奉公先にいたマスケリエという画家の卵から教えてもらった絵画技術を貪欲に吸収し、
製本屋にあった科学の書物を読み漁ったという。それを理解していたとは到底思えないのだが。
そんな中、興味を持った科学の講演にファラデーは赴いた。その時の講演をしたのがデービー卿であった。
科学の世界に魅了されたファラデーはデービーに執拗に手紙を出した。仲間に入れてくれと。

デービーは言ったという。「科学者という仕事は労多くして得るもの無き仕事だ、君には立派な製本の技術がある。その仕事を続けなさい。」
一度は諦めたファラデーだった。
しかし、デービーは研究室の観測イラスト担当者に欠員が出たときに、
講演会に来ていたファラデーの絵画技術を思い出し、彼を研究室に招いた。
このときよりファラデーは助手となる。
小学校しか出ていないファラデーは、全くと言って差し支えないほど学の無かった。
そんなファラデーにデービーは言ったという。
「君は小学校しか出ていない、それを武器にしなさい。」と。

後に彼は権威ある科学者だった師を超え、1867年の逝去までに数々の輝かしい発見を残した。
今彼は、19世紀最大の科学者と言われている。



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