ブーン系情報誌
Boon Novel Magazine
天国連載企画 Made in Heaven


以下に書く内容は主に作者、作り手側に向けての話でありますので、自分は読む専門だという方にはあまり関係のないことであるように思います。

プロにせよアマにせよ、作者が物語を書くにあたってぶつかる壁があります。すなわち「これは書いてもよいのだろうか」という自問です。例えば物語の展開において、障害者をバカにするような着想を得たとき、所謂差別用語を文中で使いたくなったときなど、です。

結論から先に言いますと、作者自身が面白いと思うならば、例え差別用語であろうと障害者をバカにする着想であろうと、躊躇わずに書くべきです。いや、書かなければなりませんし、書いてこそ確立される独創性や面白さも存在するわけです。

小説というものは、あらゆる制約から解放された最も自由であるべき文章です。ブーン系などは、その最たるものであるといっても過言ではないでしょう。作者が書くべきと思った内容を書くべきと思った言葉を使い、書くべきと思った文体で綴る、これが小説に本来あるべきスタイルです。

とはいえ、商業誌並とは言わずとも、ブーン系小説にもある程度は守らなければならないエチケットというものがいくつか存在すると思います。例えば実在する人物に対する、個人を特定できるような誹謗中傷やプライバシーの侵害。以前、柳美里の作品『石に泳ぐ魚』がある韓国人モデルからプライバシー侵害として訴えられるという問題が発生しました。彼女は同作に名前こそ出しませんでしたが、モデルの国籍や出身大学、家族から顔面にある腫瘍の描写までもを克明に記してしまったため、訴訟を起こされてしまいました。本人から許可を得ている場合は別として、それ以外の場合は出来るだけ実在の人物をモデルにしないのが無難です。するにしても、分からないようにして書くのがベストかと思います。

他に、先程障害者をバカにする描写について書きましたが、これにもある程度条件があると思います。それは、『障害者をバカにする』というのはあくまでも手段であり、決してそれを目的としてはならないということです。例えば、普段触れないようなタブーを上手に扱うと、ナンセンスな笑いや非現実的な感情の揺さぶりが生じます。しかし、ただタブーを暴露し、バカにするだけでは、憎しみめいた感情ばかりが文面から発露してしまい、笑いがおきないどころがドン引きされてしまいます。勿論、相当の非難も覚悟しなければなりません。異化効果としての差別用語は非常に効果的ですが、それにしたって信念に基づいて使うべきであって、安易に記していいものではありません。まあもっとも、小説に使う言葉は全て安易であってはならないとも言えますが。

と、様々書きましたが、実際のところは何を書いても良いのです。実在の人物を名指しで誹謗中傷したければすればいいし、障害者をバカにする目的で小説を書いても別に構わない。ただし、執筆には必ず責任が付きまといます。作者が背負う責任として、前記のような内容の小説は非常にハイリスクです。やめておいたほうが、無難です。

とはいえ、例えば「めくら」という文字を適切に使用して抗議された場合などには、しっかり正当性を主張せねばなりません。正しいことにまで訂正し謝罪などしていると、その内『障害者』を『障がい者』と表記するよう強制されるようになるかもしれませんね。

ブーン系の魅力の一つに自由さがあります。顔文字やアスキーアートを使える自由もありますが、こうして社会常識的に難しい表現を使える自由もあるわけです。

以上、つらつらと書き殴りましたが、要するに『書きたいことを書き、その上で必ず責任を持つ』ということです。ちなみにこの場合の『責任』は、完結させる『責任』とは違います。その『責任』について言及する権利は自分にはありません。理由は申しませんが。

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