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ブーン系情報誌:Boon Novel Magazine
第二号


連載:天国
天国さん

第二回目となる今回はリアリズムというものについて少し書いてみようかと思います。

とは言っても、実際私がリアリズムの何を知っているのかと問われれば、これはもう、
なーんにも知らないと答えるしかないわけで、やっぱり興味本位でテーマを設定するとロクなことがない。

しかしせっかく設定したテーマですから、やはり何かしら達成しておきたいので、
今回はリアリズムについてを書くと共に、私自身が咀嚼するという形を取りたいと思います。
まあ、正直前回も同じような感じだったのですが。

さて、まずリアリズムとは何ぞやということですがこれには複数の訳し方があり、
それぞれ学問別に区分されているようです。一応ブーン系は文章で表現されるので、
ここではとりあえず写実主義と訳しておきます。

写実主義というと坪内逍遙ですが、彼は自著に於いて、
「まー、政治思想とか、そういうのもいいけど、やっぱ小説は一切の思想を排して、
 客観描写に努めるべきじゃね?」と言いました。

まあこれは当時の文学自体が思想風俗を啓蒙する政治小説などの分野に傾いていたという事情もあります。
彼は日本の現代文学に大いなる功績を残しました。
現在書かれている日本の小説の始祖はこの人と言っても過言では無い。

さて小説のリアリズムは現実世界を忠実に書きますが、では小説的リアリズム、
小説そのものを写実的に書けばどうなるか。或いは、小説を批評してみてはどうか。
これがメタフィクションの考え方です。小説世界での現実は私たちの住む世界のそれと随分違いますから。

例えば、小説では「それから一ヶ月後――」と書くだけで時間軸が一ヶ月間も吹き飛びます。
必要のないところはバシバシ削れるわけで、記憶の反復作業に似ているような気がしないでもないです。
他に、小説では「こうなれば、こうなる」「こうなって当たり前」となる展開があります。
所謂フラグというやつがそれに似ていますが、それよりもっと根本的なところです。

例えば、探偵小説では必ず事件が解決に向かいます。
水戸黄門が最後に印籠を突き出して下々の者どもをひれ伏させるぐらい当然の展開です。
これは探偵小説のリアルであり、探偵小説のリアリズムがここに成立するわけです。

ただ、たまに印籠を出してもひれ伏さない悪役がいるように、たまに探偵小説の形式を取っているくせに事件が解決しなかったり犯人が見つからなかったり、
または奇想天外な――犯人は本を読んでいるあなた、というような――ラストを迎える作品もあります。
これらは反探偵小説と呼ばれる部類で、あえて探偵小説のリアリズムに反しているわけです。
このような事柄を、小説にする。つまり小説を題材に小説を書くこと。
読者に虚構であることを明示することがメタフィクションです。簡単な例を挙げれば、所謂楽屋オチなんかがそうですね。

では小説以外のリアリズムを考えます。
例えばゲームのリアリズム。スーパーマリオはクリボーにぶつかると死にますが、
残機がある限り何度でも復活し同じステージを繰り返します。そして先程はクリボーにぶつかったから、今度はぶつからないようにしよう、とプレイヤーはマリオを上手くジャンプさせます。
つまり繰り返しの中で若干の差違が生じるわけですね。

これまた記憶の反芻と似ていて、これを小説にコンバートすると、
筒井康隆の『ダンシング・ヴァニティ』みたいなものが出来上がります。

他にも、イントロとAメロとBメロとサビとアウトロで大抵構成されているポピュラー音楽の展開を、
小説に持ち込めやしないか。初代ポケモンのような酷いバグを小説に、など、他ジャンルのリアル、現実を小説に持ち込めば小説世界はさらなる広がりを成功させることが出来るのです。
いやあ素晴らしい。これからも小説の世界はまだまだ広がっていく余地を十分に残しているのです。希望だらけですね。

ではそろそろオチを迎えねばならないのですが、ここまで勢いで書き進めたおかげでオチなど何も考えておりません。
オチが必要であるということも、小説のリアリズムですね。
まあ、オチの所在を弄ったメタフィクションはそこら中に腐るほど転がっていますので、今更あえて言うことでも無いのですがね。絶望先生然り筒井康隆の『怒るな』然り……。
では、今回の私の連載も『オチが無いことがオチ』という、ありきたりなオチで幕を下ろさせていただきます。
今回の内容は私も素人知識のフル活用でしたので、前回ほど主張に自信がありませんことを、最後に付け加えさせていただきます。次回はちゃんとブーン系の話をするかもしれないですがしないだろうなあ。


天国

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