('A`)ドクオが一瞬を見るようです

50: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。 :2007/05/01(火) 21:23:02.50 ID:Jbj1KBnj0

(´・ω・`)「お待たせしました。アイスコーヒーです」

('A`)「すんません。いただきます」

漆黒の宝石のような色をしたアイスコーヒー。
添えられたストローに口をつけてすすった。

二ヶ月前までは毎日のように飲んでいた、さわやかな味。ついこの間も口にした。

それなのに懐かしい味だと思ってしまった俺は、
もう水泳に明け暮れていた頃の俺ではないのだろう。

(´・ω・`)「隣、失礼するよ」

('A`;)「あ……どうぞどうぞ」

コーヒーカップを片手に、マスターは俺の隣に腰掛けた。
コーヒーからは湯気が立っていた。

こんな真夏にホットなのか?
だけど、それもマスターらしいなと思えた。



51: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。 :2007/05/01(火) 21:26:06.27 ID:Jbj1KBnj0

それからマスターは、胸のポケットからタバコを取り出して、火をつけた。
なんだ、店の中でも吸うんだな。そう思って、今度は口に出してたずねてみた。

('A`)「さっき、なんで店の前でタバコ吸ってたんですか?」

(´・ω・`)「ん? なるほど……。そう来たか」

マスターは口の端だけで笑って、コーヒーカップに一口、口をつけた。

(´・ω・`)「屋外で吸うタバコと屋内で吸うタバコとでは、また違った味が楽しめるんだよ。
     君もタバコを吸うようになればわかる。まあ、吸わない方が幸せだがね」

('A`)「そういうものなんですか……。
   でも、マスターがタバコを吸っているの、今日はじめてみましたよ?」

(´・ω・`)「ほう……君は物事をよく見ているね。たいしたものだ。
     普段、お客が店内にいるときはタバコを吸わないようにしてる。失礼になるからね。
     店内でタバコを吸うのは、こんな風に常連のお客さんと二人っきりで話をする時だけさ」
   
言葉だけで驚いて見せたあと、マスターはうれしい一言を言ってくれた。
店の常連。なんだか自分が特別な気がして、少しだけうれしくなった。



53: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。 :2007/05/01(火) 21:28:54.72 ID:Jbj1KBnj0

(´・ω・`)「それにしても、どうしたんだい? 
     いつものドクオ君じゃないように見受けられるが?」

('A`;)「え!? ……いや……そう見えますか?」

(´・ω・`)「ああ。君や内藤君に特有の若々しさが感じられない。
     そこがちょっと気になって、声をかけさせてもらった」

あんたの方が物事をよく見ているよ。
俺は心の中で、自嘲気味に笑った。

(´・ω・`)「受験の悩みかな? それとも、恋の悩みかい?」

('A`)「……」

確かに、その両方でも悩んでいた。

将来の俺はどんな風になっているんだろう?
あの時キスしようと言ってきたクーは、いったいなにを思っていたんだろう?

だけど、それよりも、先ほどの長岡との対話の方が気になっていた。



57: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。 :2007/05/01(火) 21:32:47.17 ID:Jbj1KBnj0

('A`)「マスターには、大切な『一瞬』ってありますか?」

(´・ω・`)「……ふむ。詳しく聞こうか」

マスターは二本目のタバコに火をつけると、コーヒーをすすった。
俺は目の前のアイスコーヒーのグラスを見つめながら、続ける。

('A`)「友達が……そいつ、野球部のピッチャーなんですけど、
   試合の大事な場面、ボールを投げ込んでキャッチャーミットに収まったとき、
   そんな『一瞬』がたまらなく気持ちいいんだって……
   そのために生きているんだって、そう言ってたんです」

(´・ω・`)「ほう……良い事を言うね。ぜひ会ってみたい少年だ」

('A`)「普段はおちゃらけたヤツなんですけどねw
   だけど、そんなことを語るアイツが、すごく大人びて見えました」



58: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。 :2007/05/01(火) 21:34:04.91 ID:Jbj1KBnj0

グラスの中の氷がわずかに溶けて、カランと鳴いた。
マスターの吐き出した紫煙が流れてきて、少しだけ煙たかった。

('A`)「そして、アイツは別れ際に言ったんです。
   『お前には、そんな一瞬があるのか?』って。
   俺は何も言えませんでした。そんな『一瞬』があることすら、これまで知らなかったから。
   それなりに生きてきて、いろいろなことを経験してきたつもりだったけど、
   俺にはそんな『一瞬』が見当たらなかった。
   俺のこれまでの人生って、なんだかなぁ……なんて思っちゃいましたよ」

俺はグラスに口をつけた。
さっきまでさわやかだと感じていたコーヒーが、今度はひどく苦く感じられた。



61: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。 :2007/05/01(火) 21:36:42.31 ID:Jbj1KBnj0

(´・ω・`)「僕はねぇ、昔、証券マンをやっていたんだ」

しばらくの沈黙の後、マスターは静かに話し始めた。
視線は、カウンターのさらに先、柔らかな木目調の棚に注がれていた。

(´・ω・`)「毎日画面の中の数字の羅列を眺め、買いと売りを瞬時に見定める。
    他人の金を右から左に動かして、金を増やす。いわゆるマネーゲームだね。
    そんな仕事に疑問を抱かなかったと言えば嘘になる。
    『自分は何を生み出しているのだろう?』って、ことあるごとに考えたものさ」

マスターはタバコを口に運び、吸い込んだ。
一瞬、タバコの先端が赤々と燃え立ち、すぐに消えた。

(´・ω・`)「だけど、自分が買った証券が高騰し、莫大な利益を生み出すことがある。
     そんな時、何もかもが報われた。
     先ほどの君の話で言えば、その『一瞬』のために、あの頃の僕は生きていたんだろうね」



64: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。 :2007/05/01(火) 21:40:24.64 ID:Jbj1KBnj0

(´・ω・`)「経験を重ね、失敗も重ねていくうちに、
     いつしか僕は敏腕トレーダーなんて呼ばれるようになった。
     うれしくなかったと言えば嘘になる。
     他人に自分の存在を認められることは、人間の根源的な喜びだからね。
     だけどそれと同時に、年を取るごとに、自分の中であの疑問が膨れ上がっていくんだ。
     『自分は何を生み出しているのだろう?』
     いつしか、そればかりが頭の中を満たすようになった」

マスターは灰皿を取り出すと、短くなったタバコをもみ消した。
続けて、三本目のタバコに火をつける。

(´・ω・`)「そんな僕に、もはやあの『一瞬』は価値を持たなくなっていた。
     そのときすでに、貯金はたくさんあった。
     僕には嫁も、子も、金を使う時間さえもなかったからね。
     その額を聞いたら、きっと君は驚くだろう。
     それほどまでに、金銭面では僕は満たされていた。
     だけど、僕の心の中は空っぽだった」

マスターはただ、前を向いていた。

時折眼を細める。
その視線の先に、マスターはなにを見ようとしているのだろうか?



70: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。 :2007/05/01(火) 21:49:23.07 ID:Jbj1KBnj0

(´・ω・`)「そんな時ね、若い部下に相談を受けたんだ。
     本当は僕が相談したいくらいだったけど、
     そんなことを相談できる仲間が、僕にはいなかった。
     証券マンには出世欲の強い人間が多いんだ。
     僕は尊敬はされていたが、それと同時に、彼らが蹴落とすべき目標ともされていた。
     そんな僕が、他人に弱みを見せるわけにはいかなかった」

マスターは自嘲気味に笑うと、あごひげをなでた。
黒と白の混じった、銀色にも見えるひげが、マスターの生き様を象徴しているように見えた。

(´・ω・`)「悪いね。話がズレてしまった。
     えーっと……部下に相談を受けたところからかな?
     その部下は仕事のことで悩んでいた。うまくいかない。業績を残せない。
     そんな彼に、僕は自分のこれまでの経験のすべてを話した。
     それを聞いた彼は元気を取り戻したようで、うれしそうに笑って帰って行ったよ」

マスターがこちらを向いた。
まっすぐ、俺の顔を見つめてくる。

(´・ω・`)「そのとき、僕は気付いたんだ。『僕は今、生み出したんだ』とね。
     僕は、部下の笑顔を生み出したんだ。それが、たまらなくうれしかった。
     心が満たされていくのを感じた。もっと、人の笑顔を見たいと思った。
     不思議だったよ。昔から部下には相談を受けていたし、
     そのたびに同じような笑顔をもらっていたのに、それが素晴らしいものだと欠片も思わなかった。
     昔から何度も体験してきた『一瞬』の価値に、僕は気付いていなかったんだ。
     それから僕は、会社を辞めた。そして、この店を開いた」



75: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。 :2007/05/01(火) 21:53:38.16 ID:Jbj1KBnj0

(´・ω・`)「ドクオ君。『一瞬』の価値なんてね、変わっていくものなんだ。
     そして、本当に見えにくいものなんだよ。
     『買った証券が高騰して莫大な利益を生み出す』
     そんな『一瞬』が、僕にとって価値が無くなっていったように。
     『誰かの笑顔を生み出せた』 
     これまで何度も経験してきた『一瞬』の価値に、突然、僕が気付いたように」

白毛の混じった眉。その下に存在するマスターの、
黒い、深い、二つの瞳の奥に、俺の姿が映って見えた。

(´・ω・`)「さあ、思い出してごらん? 
     君が経験してきた、これまで数多出会ってきた『一瞬』の数々を。
     その中に、君がまだ気付いていない輝きが、価値が、存在するはずだ」


マスターの低い声。

響き渡る。

マスターの黒い瞳。

世界が、染まっていく。



79: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。 :2007/05/01(火) 21:56:38.75 ID:Jbj1KBnj0

深い、

小さな、

漆黒の、瞳。


吸い込まれる。

引き込まれる。

覗き込まれる。


俺の過去が、

『一瞬』が、


マスターの双眸の奥に、


姿を、現す。



83: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。 :2007/05/01(火) 22:00:26.26 ID:Jbj1KBnj0

幼い頃、虫網を片手に見上げた夏の青空。
静寂の冬の朝、窓から眺めた純白に染まった町。

桜吹雪の先に見えた、友の顔。
舞い散る落ち葉の先に見えた、赤い赤い、秋の夕暮れ。

高熱で朦朧とした視線が捉えた、
心配そうにこちらを覗き込む、かーちゃんの優しいまなざし。

いつも俺の前を歩いていく、とーちゃんの、広くて大きな背中。

最後の大会、ゴーグルの先に見た、ブーンの真剣な横顔。
俺たちの真ん中で楽しそうに笑う、ツンの輝いた笑顔。

教室に笑い声を響かせる、長岡のバカ面。

そして、マウンドの上。
ただこちらだけを見据えていた、長岡の真剣な顔。

どれもこれも、忘れない。
忘れられない、『一瞬』の数々。


だけど、足りない。何かが、足りない。


もっと……もっと見たい『一瞬』が、ほかにも必ずあったはず。



84: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。 :2007/05/01(火) 22:02:27.13 ID:Jbj1KBnj0

そして、浮かんでくる。
夏の夜、三日月が照らす道で、交わそうとした口付けが。

クー。

いつも無表情な、彼女の顔が。
電車の中で垣間見た、無防備な彼女の寝顔が。
時折見せる、かすかな笑みが。

水の上を滑るように進む、彼女の泳ぎが。
プールサイドに立たずむ、彼女の水着姿が。

見たい。

いつまでも、いつまでも、傍らで見ていたい。

これが、俺にとっての『一瞬』
追い求めるだけの輝きがある、価値のある『一瞬』



86: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。 :2007/05/01(火) 22:04:26.36 ID:Jbj1KBnj0

カランカランと音がした。
扉の方を見ると、数人の客が入ってきていた。

マスターの視線は、いつの間にか俺からはずされていた。
そして、低い、小さな声で、静かに言う。

(´・ω・`)「答えは、見つかったかな?」

('A`)「……はい。見つかりました。見つかったような気がします。
   俺、今からそれを確かめに行きます」

(´・ω・`)「そうかい。頑張っておいで」

俺は立ち上がる。グラスを手に取り、中身を飲み干す。

今度は、とてもさわやかな、いつも慣れ親しんできた味がした。
汗をかいたグラスは冷たくて、目が覚める思いだった。

荷物を持ち、扉の前に立った。取っ手を握ろうとして、再び俺は振り返った。

('A`)「マスター。最後に聞いていいですか?」

(´・ω・`)「ああ。かまわないよ」

マスターは、カウンターの奥で来客のためにコーヒーを入れ始めていた。



91: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。 :2007/05/01(火) 22:07:20.67 ID:Jbj1KBnj0

('A`)「今のマスターにとって、価値ある『一瞬』とはなんですか?」

マスターはカウンターにカップを並べ、丁寧にコーヒーを注いでいく。
穏やかな、落ち着いた香りが、店内を満たしてゆく。

(´・ω・`)「一つは、お客さんの笑顔。今の君みたいな、ね。
     そしてもう一つは、過去の常連が再びここに立ち寄ってきてくれたとき」

マスターは木製のお盆にカップを載せると、カウンターから出てきた。
テーブル席に座る来客の前に丁寧にカップを並べていく。

それから、お盆を脇に持つと、俺の前に立つ。

(´・ω・`)「昔の常連が立ち寄ってくれる。
     そのときに僕は、久方ぶりに現れた彼の表情の先に、彼が歩んできた人生を想像するんだ。
     どんな道を歩いてきたのだろうか? 
     昔、僕が想像したとおりの彼になっているのだろうか?
     そして、どんな気持ちでまた、僕の店に立ち寄ってくれたのだろうか?
     それを考えることが非常に楽しくて、うれしい。
     そして、再び昔と変わらない笑顔を見せてくれようものなら、たまらなく心が満たされる」



95: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。 :2007/05/01(火) 22:10:48.04 ID:Jbj1KBnj0

(´・ω・`)「いったい君はどんな大人になるんだろうね? 
     今から非常に楽しみだよ」

そこまで言って、マスターは俺に背を向けた。
カウンターの中、レジの前へと歩みを進める。

(´・ω・`)「このアイスコーヒーは出世払いだ。
     君が大人になったとき、いつか必ず、またこの店に来てくれたまえ」

伝票をひらひらと振って、マスターは笑ってくれた。
俺は精一杯のお辞儀をする。

('A`)「絶対……絶対にまた来ます! 
   それまでこの店、つぶさないでくださいよ?」

(´・ω・`)「ふふふ。努力しよう」

マスターは静かに、扉の先を指差す。


(´・ω・`)「さあ、行きたまえ」

('A`)「はい!!」


そして俺は、扉を開けた。



98: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。 :2007/05/01(火) 22:11:52.68 ID:Jbj1KBnj0

西日が光り輝いていた。
わずかに気温は下がっていた。

夏の夕暮れ。
町は、郷愁に包まれていた。

その町を、俺は、走る。
赤く染まる町を、俺は、駆け抜ける。

目的地は、学校。
何度も何度も足を運んだ、高校生活の多くを過ごしたプール。

そこに、彼女がいる気がした。
そこに、価値ある『一瞬』があるような気がした。

長岡の言っていた『一瞬』に会える。

そんな気がした。



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