(´・ω・`)はメールを打つようです

1: 「夏」 :2007/08/25(土) 22:47:39.13 ID:Li1DZ2py0
カーテンの隙間から差し込む朝の日差しに、僕は目覚めさせられた。

すぐさま枕元に置いてある時計に目を遣る。
見れば、八時を少しばかり回ったところだ。
アラーム機能を使わない僕は常に自分の感覚で起床している。

今日は休日、もう少し寝坊しても問題ないが、
買い物に行く予定だった僕は体を起こし、洗面所に向かった。


顔を洗い、歯を磨き、髪を手櫛でさっと整える。
鏡に映る寝惚けた自分の顔はどこかしょぼくれていて、
だけど僕はこの顔が嫌いではなかった。

キッチンに向かいインスタントコーヒーを淹れた。

砂糖は入れず、ミルクのみを加え一口飲む。
香り高い苦味が口一杯に広がり、僕の頭はようやく眠気から解放された。



2: 「夏」 :2007/08/25(土) 22:49:21.67 ID:Li1DZ2py0
コーヒーを作る間に準備しておいたトーストが焼き上がった。
トースターのランプの色の変化を見て、その出来上がりを確認する。
バターを塗ると熱でさっと溶け、じんわりと染み込んでいく。
食べると、カリッとした表面と、フワッとした中身との食感の対比を楽しめた。

簡単で、かつ自分にとって満足な朝食を済ませると、
僕はよれよれのパジャマから着馴れた洋服へと着替えた。

白いポロシャツに、薄いグレーのスラックス。
シンプルだが、こう見えて中々にいい値段がする。
その事実を前面に押し出さない事が、僕なりのお洒落だ。


窓から外の様子を見ると、今日も気温が高い事が分かる。
なるべく夏らしく、涼しげな服を身に纏い、僕は家を後にした。

最後にもう一度だけ時計を見た。
それは十時過ぎの、一番暑い時刻を示していた。



3: 「夏」 :2007/08/25(土) 22:51:35.64 ID:Li1DZ2py0
電車を乗り継ぎ、街に出てショッピングモールを目指す。

やはり太陽の熱射が厳しい。
僕は時々、ハンカチで汗を拭いながら人ごみの中を潜り抜けていった。

途中で配られているチラシを受け取る。
駅前の大通りに、新しく料理店が出来たらしい。
今度行ってみよう、と心の中で呟いた。


歩みを進めるにつれ人の数は増えていく。
都会の喧騒も、僕には有り触れた穏やかな日常としか捉えられない。


行き交う人々の足取りはそれぞれで、
瞳にせわしなく映る人影は、すぐに視界から消えていってしまった。

それはまるで、現代社会の縮図のように思えた。



5: 「夏」 :2007/08/25(土) 22:53:44.37 ID:Li1DZ2py0
センター街へと続く道には、
たじろぐ程たくさんの人が各々の目的を抱えながら集っている。
群衆から少し離れた所で、僕は信号待ちをした。

光が、赤から青に変わった。

横断歩道を渡る度に凍りつくような緊張に襲われる。
誰かとぶつかったらどうしよう、突然車が来たらどうしよう。
周囲の人は全く気に掛けていないようだが、僕は未だに慣れられない。
渡り切ると、人知れず安堵するのだった。


駅付近のの道を抜け、街の中心部に辿り着いた。
そびえ立つ高層ビル、追い立てられるように生きる人達。
歩きながらその光景を眺めると、何故か笑ってしまう。

きっと、自分がその世界に入っていけないからなのだろう。


そんな事を考えていると、
突然、肩を掴まれた。



8: 「夏」 :2007/08/25(土) 22:55:58.95 ID:Li1DZ2py0
(#゚ー゚)「――――――!!」

振り返ると、女性が何やら物凄い剣幕で騒ぎ立てていた。
言っている事は分からないが、どうやら、僕に対して怒っているらしい。

(;´・ω・`)「…………」

僕はうろたえて、困惑しながら女性の顔を見る。

見たところ、僕よりも年齢は下で、不謹慎ながら可憐にさえ思えた。
何の言葉を発しない僕の態度に、彼女はますます腹を立てているようだ。


あまり言いたくはないのだけれど、仕方がないな。


僕は諦めて、彼女に伝えることにした。

僕は胸のポケットからペンを取り出し、
先程受け取ったチラシの裏に手早く文字を書き、それを見せた。



9: 「夏」 :2007/08/25(土) 22:57:41.52 ID:Li1DZ2py0


すみません。
    
僕は、耳が聴こえないんです。



10: 「夏」 :2007/08/25(土) 22:59:41.94 ID:Li1DZ2py0
(;゚ー゚)「――――!?」

その文字を見て、彼女の顔は驚きの表情に変わった。
同時に、慌てて頭を下げる。
唇の動きから、「ごめんなさい」と言っている事がかろうじて読み取れた。

(;゚ー゚)「――――――!」

(;´・ω・`)「…………」

そんな女性の姿を見て、狼狽しながら顔を上げるようにジェスチャーで促した。
彼女は何も悪くない。
悪いのは、聴覚障害の僕だから。

それよりも、女性が何故怒っていたのかという事の方が気になり、
僕はまた新たに文字を書いて見せた。
手話を使おうかとも考えたけれども、限られた人にしか伝わらない言葉よりは、
こうして、誰にでも伝わる言葉を用いる方が都合が良いだろう。

(´・ω・`)『気にしないで下さい。そんな事より、僕に何か用でしょうか?』



12: 「夏」 :2007/08/25(土) 23:01:34.57 ID:Li1DZ2py0
文字を見せると共に女性に紙とペンを渡し、
「ここに用件を書いて下さい」と、身振り手振りで伝えた。

でもそれだけじゃきっと萎縮させてしまうから、
柔らかく、そっと微笑んだ。

(;゚ー゚)「――――――」

僕の所作に彼女は驚いたのか、一瞬身動ぎする。
だけども、それはやはり一瞬の事だった。

(;゚ー゚)「――――」

彼女は僕から紙とペンを苦笑いしながら受け取り、
さらさらと、流れるような手捌きでペンを余白の上に走らせた。

僅かな時間で書き上げると、女性は怖ず怖ずとその文字を僕に見せた。

(;゚ー゚)『この辺りに、美味しいランチを食べられるお店はないでしょうか?』



13: 「夏」 :2007/08/25(土) 23:03:10.52 ID:Li1DZ2py0
よく目を通すと、いかにも申し訳程度に別の文字が添えられていた。


(;゚ー゚)『すみません、本当に大した事では無いんです。
    こんな事より、先程の無礼を謝りたい気持ちで一杯です』


やや長めの文章だが、小さく控えめな文字で書かれている。
僕はその文字を見て、何だかくすりと笑いたい気になった。

そうやってじっくりと文字を見返していると、
女性は僕から紙を奪い取り、顔を真っ赤にして文を付け加えた。

(;゚ー゚)『ごめんなさい。迷惑をお掛け致しました。
    不快に感じたようでしたら、何でもお詫びをします』

本当に申し訳なさそうな文字を見て、逆に居た堪れない気分になった僕は、
制止してもなお頭を下げ続ける彼女に向けて気にしていない事をアピールする。

それでも言葉無しでははっきりとは伝えられないから、
僕は紙を受け取り、答えを文字に託した。



14: 「夏」 :2007/08/25(土) 23:04:52.50 ID:Li1DZ2py0
(´・ω・`)『いえいえ、そのぐらいの用件でしたら幾らでもお答えします』

この街には僕の行きつけのパスタの店がある。
味は言うまでも無く、店内も綺麗で、値段も良心的。
何より、耳の不自由な自分にも一人の客として対等に接してくれる。
それは僕にとってこの上なく嬉しい事だった。

(´・ω・`)(文章で説明するのは難しいな……)

残り僅かとなったチラシの裏の余白を見て思案する。
地図を書こうにも十分なスペースはない。
かと言って、文字だけで説明出来る程の表現力は持ち合わせていなかった。

ふと顔を上げると、今度は女性がうろたえていた。
言葉は分からない。だけど、表情からある程度は感情は読み取れる。
今は多分、お節介な僕の行動に戸惑っているのだろう。

だから僕は、もう一度微笑んだ。



19: 「夏」 :2007/08/25(土) 23:07:28.48 ID:Li1DZ2py0
あれこれとややこしく考えたりもしたが、
結局、巡り巡って辿り着いた結論は単純明快な事。

(´・ω・`)『良かったら、案内しますよ』

僕は真っ黒になりつつあるチラシを彼女に渡した。
それを見て、彼女は首と手を神経が繋がっているかのように横に振る。
けれど、拒絶というよりは遠慮といった感じだ。


しばらく、筆談が続いた。

(;゚ー゚)『そんな、申し訳ないです』

(´・ω・`)『いやいや、丁度僕もその店に行こうと思っていたところですから』

(;゚ー゚)『ですが、迷惑を掛けた上にそこまでして頂く訳にはいけません。
    こちらが何かしたいぐらいですのに』



21: 「夏」 :2007/08/25(土) 23:09:02.06 ID:Li1DZ2py0
女性は本当に済まなさそうに文字を書く。

だけど僕は、如何せんお人好しな性格のせいか、
どうにもちょっとした親切を最後までやり切りたくなってしまう。

(´・ω・`)『それでは、お詫びとして昼食をご馳走して頂けませんか?』

(;゚ー゚)「――――――?」

おかしな提案に、彼女は拍子抜けして不思議そうな顔をする。
こう言っては何だが、自分でも無茶苦茶な論理だと思う。

恐らく僕は、久々の長話に興奮を覚えていたのだろう。
だからなのか、この出会いが、偶然ではない事のように感じてしまっていた。
何とも勝手な思い込みだ、と心の中で自嘲する。


僕は一人でしかないのに。



23: 「夏」 :2007/08/25(土) 23:11:09.42 ID:Li1DZ2py0
(´・ω・`)『それならば、構わないでしょう?』

僕はもう一行ばかり文字を並べた。

彼女は戸惑いながらもペンを握る。
何か上手く言い包められた人のように、言葉を綴った。

(;゚ー゚)『確かに、私もお詫びをしたいと言った手前、
    貴方の希望は不可能な事以外は聞こうとは思いますが』

(´・ω・`)『光栄です。では、付いて来て下さい』

僕の強引な申し出に、女性は観念した様子で、
ほんの少ししかない紙の隙間に、細やかな文字で返事を書いた。

(*゚ー゚)『はぁ、分かりました』

そのたった数文字で、紙の余白は完全に埋め尽くされ、
二人が会話する空間は失われた。



24: 「夏」 :2007/08/25(土) 23:12:45.68 ID:Li1DZ2py0
僕は女性の数歩前を歩いて先導した。

すれ違う人々とは対照的に、並んだ建物はいつまでもそこに在り続ける。
その持続性が絶えず変化する僕達現代人に安心感を与えるのだろう。

会話もなく、微妙な距離を保って僕達は歩いていく。
やはり彼女はどこか遠慮がちにしている。
そんな彼女の気を和らげようと、植樹された大きな木や建造物等を指差し、
「これは、この街では有名な場所です」と言った事を伝えようとした。


おかしいな。
届くはずはないのに、何で僕はこんな事をしているのだろう。


僕には当たり前の事だけれど、女性には長い沈黙は耐えられないだろうから、
何とかして空気を明るくしようと努める。

でも言葉をいくら声にしようとも、呻き声のような音にしかならない。
もっとも、その音すらも僕の耳には届かないのだけれども。

空を見上げる。息を呑む程青くて、吸い込まれそうだった。



26: 「夏」 :2007/08/25(土) 23:15:00.77 ID:Li1DZ2py0
店に到着し、ウェイターに案内されるままに席についた。
備え付けのメニューを開き、注文を決めようと写真と文字に目を通す。

ここまで会話はなく、気まずくなった僕は何とか筆談をしようと思い紙を探す。
すると、彼女は携帯を取り出し、僕にもそうするよう目と手で合図した。

(*゚ー゚)「――――――」

(´・ω・`)「…………」

どういう事なのだろう、と考えながら携帯を渡し、
彼女の行動をつぶさに観察する。

女性は二つの携帯の画面を見比べ、
可愛らしいストラップが一つぶらさがった自身の携帯に何やら打ち込んでいる。
それが終わると、僕に携帯を返し再び何かを打ち込み始めた。

僕が不思議そうな顔をすると、今度は彼女が微笑んだ。
さっきの街中での出来事と立場が逆転していた。



28: 「夏」 :2007/08/25(土) 23:17:01.59 ID:Li1DZ2py0
しばらくして、僕の携帯が震えた。

開いてチェックすると、見知らぬアドレスからのメールが一件。
内容を見てみる。


(*゚ー゚)『メールで会話しませんか?』


ほんの一行の文を読んで、すぐに先程の女性の行動を理解した。
僕は返答のメールを打った。


(´・ω・`)『いいアイディアですね』


数秒程タイムラグはあれど、僕達はメールを通じて会話をすることが出来た。
オススメのパスタを指差しながら、メールで彼女にその解説をする。
そして彼女は、これまたメールで僕に返事をするのだった。

すぐ近くにいるのにメールでやり取りをする二人。
傍から見れば滑稽な光景だろう。
だけど僕達にはそれ以外に方法がなかった。



30: 「夏」 :2007/08/25(土) 23:19:04.35 ID:Li1DZ2py0
大きく開かれた座席脇の窓からは都会の景色が一望できる。
複雑に入り組んだアスファルトの道路。
その上を走り続ける車は、まるで時計の針のようで、決して留まる事はない。

流れるように時間は過ぎていく。
そして車の交通も、流れるように過ぎていく。

蒼天で煌めく太陽。

人々は炎天下の街を歩いていた。

日に照らされたその顔はよくは見えない。
絶えず動く人影は砂漠の細かい砂粒を思わせる。
群れているようで、実の所孤独を抱えながら生きる生命体。

だがそれが当たり前の事なのだろう。

何も聴く事が出来ない自分はこの街の循環から取り残されている。
僕も普通の、一人の人間としてそこに紛れたかった。



31: 「夏」 :2007/08/25(土) 23:21:07.11 ID:Li1DZ2py0
頼んだパスタが運ばれてきた。
丁寧にフォークで巻き取りながら頬張る。
うん、相変わらず美味しい。
海鮮の旨味が溶け出したトマトソースが程好い歯応えのパスタによく絡んでいる。
甘さと酸っぱさのバランスが絶妙で、有りがちなくどさは微塵も感じられなかった。

気付くと、携帯が震えた。
慌てて中身をチェックする。

(*゚ー゚)『このパスタ、美味しいですね』

顔を上げると、女性は本当に美味しそうにパスタを食べている。
そして僕の顔を見て、ニコッと笑った。
僕は急いで返信を打つ。

(´・ω・`)『でしょう?』

その短い文章を読んで、彼女はまた笑い、僕も笑顔になった。



32: 「夏」 :2007/08/25(土) 23:23:17.78 ID:Li1DZ2py0
食後、僕は女性に何故怒っていたのかを尋ねてみた。
すると彼女はまた顔を赤くして、頭を下げながらメールを打った。

聞けば、彼女が道行く僕に質問したところ、
その事に僕が気付けずに結果として無視した形になってしまい、腹を立てたらしい。

話を聞く限りでは、やはり彼女に落ち度なんて無い。
僕は返事を打ち込んだ。

(´・ω・`)『そんなの、謝る事ではないですよ』

(*゚ー゚)『でも、やはり失礼な行為をしてしまいました』

僕は何度も気にしていないことをアピールし、
彼女は何度も申し訳なく思っていることをアピールする。

(´・ω・`)『いえいえ、僕は全然気にしていませんから。
      むしろ、おかげでご馳走して頂いてラッキーだと思っています』

僕の他愛も無い冗談に、彼女はようやく緊張が解けたのか、
次に来たメールはくだけた文章だった。

(*゚ー゚)『あら、そう来ましたかw』



34: 「夏」 :2007/08/25(土) 23:25:10.11 ID:Li1DZ2py0
互いに笑い合って妨げていた隔たりが無くなったのか、
その後は軽い雑談になった。


楽しかった。
こんなに楽しい時間は久方ぶりだ
やはり偶然ではなかったのではないかと、僕は一人考える。
いや、一人だったら悲しいかな。


(*゚ー゚)『そう言えば、まだ自己紹介をしていませんね』

(´・ω・`)『ああ、本当ですね』

僕達は顔を見合わせながら、自分の名前を打ち込み、相手に送信した。


(*゚ー゚)『私は、しぃと言います』

(´・ω・`)『僕は、ショボン』


たった数バイトのデータの交換は、その容量以上に大きな物のように感じられた。



35: 「夏」 :2007/08/25(土) 23:27:13.74 ID:Li1DZ2py0
(*゚ー゚)『すみません、ちょっとトイレに行ってきます』

(´・ω・`)『分かりました』

三十分程度の談笑の後、彼女は席を立ちお手洗いへと向かった。

空になった皿はすでに下げられ、テーブルには伝票が置かれている。
僕はそれを手に取り、レジに向かい清算を済ませた。

最初からそのつもりだった。
彼女に非は無い、あるとしたら僕の方だと思ったから。
親切心だとか、そんな気持ちじゃなくて、自分からそうしたいと思ったから。

窓の向こうに広がる風景は依然として変わりない。
僕は一通のメールを送り、静かに店を後にした。


(´・ω・`)『パスタの代金は支払っておきました。
      返信は要りません。それでは』



38: 「夏」 :2007/08/25(土) 23:28:58.95 ID:Li1DZ2py0
ドアを開け店を出ると、そこに吊り下げられたベルが揺れる。
いつも思うのだが、一体どんな音がするのだろうか。
歩きながら想像を膨らませる。
理想とするのは、澄み切った、爽やかな音色。

でも僕には、それがどんな音なのかさえも分からない。

衝動に駆られて青空を仰ぎ見た。
きっと、この空を見た時のような気持ちにさせてくれる、そんな音なのだろう。


洒落た商店が立ち並ぶ通りに足を踏み入れる。

思い出したように、ごそごそと先程のチラシをポケットから取り出した。
元は新しいレストランの開店を報せる広告。
裏面はびっしりと文字で埋め尽くされ、白は黒に覆われている。

僕はそれを丁寧に折りたたんで、そっと仕舞い込んだ。



41: 「夏」 :2007/08/25(土) 23:31:08.77 ID:Li1DZ2py0
夜。

八月半ばの丸い月は一年で最も美しい月の姿だ。
そんな満月が輝く時間に、僕は帰宅した。

鍵を開けて扉をくぐり、廊下の電灯を点ける。
赤と白の中間のような、例えようのない光が僕を包んだ。

当初の目的に従って、馴染みの店で幾つか食器を購入した。
リビングのテーブルの上に得た品を並べる。
数枚の丸い皿。
夜空の満月には敵わないけれど、十分に綺麗だった。

一通り眺めて、僕はそれらを食器棚へと仕舞った。
大窓のカーテンを開けると、やはり月は最高に美しかった。



44: 「夏」 :2007/08/25(土) 23:33:27.53 ID:Li1DZ2py0
買ってきたコンビニ弁当を胃の中に詰め込んで、パソコンを立ち上げる。

僕の仕事は在宅のWebデザイナー。
依頼者との言葉のやり取りを電子上で行えるこの職業は、
聾唖者の僕にはうってつけだった。

子供の頃は懸命に勉強して手話を覚えたりもした。
役に立つ時もあるけれど、それでも不便な時の方が断然多い。
だから、文字を使った通信は便利だった。

送受信をすると、新着のメールが二通来ている。
一つは仕事の依頼。もう一つは良くある迷惑メール。
今日は自分の中で決めた休日なのだから、
出来る事なら、仕事の話は止めて欲しいものだ。

適当に返事を送った後、シャワーを浴びようと思い服を脱ぐ。
その際、シャツのポケットから携帯を取り出すとある事に気が付いた。


一件のメールが届いていた。



47: 「夏」 :2007/08/25(土) 23:35:07.83 ID:Li1DZ2py0
(´・ω・`)(あれ、こんなのいつ入ったんだ?)

何で気付けなかったのだろう。
食器選びに夢中になっていたからだろうか。

数時間前の自分の行動を振り返りながら、ゆっくりと携帯を開いた。
件名と差出人を確認する。


件名は無題。

差出人は、しぃ。


いつの間にか、僕はその名前でアドレスを登録していた。

(;´・ω・`)(何をやっているんだ、僕は……)

我ながらストーカーのようで気持ちが悪くなる。
つい反省してしまった。情けない男だ。

そんな風に自己嫌悪に陥りながらも、書かれてある内容に目を通した。



51: 「夏」 :2007/08/25(土) 23:37:03.11 ID:Li1DZ2py0
(;゚ー゚)『ご馳走するのは私の方ではなかったですか!?
    あれではますます申し訳なく思ってしまいます!
    逆にご馳走して頂くだなんて、どういうつもりなんでしょうか!?
    失礼ながらお願いします、答えて下さい!』


読み終えたところで、僕は思わず笑ってしまった。
多用されたエクスクラメーションマークを見て、
そこから、困り果てる彼女の焦った顔が容易に想像出来たからだ。

僕は簡潔に返事を書いた。

(´・ω・`)『あれは僕なりのお詫びです。
      そもそも、貴方を怒らせてしまったのは僕のせいなのですから』

思いつく限りの気取らない台詞。
これなら気持ち悪くないかな、などとくだらない事を考えながら文字を打った。

(´・ω・`)(……何を心配する事があるのやら)

はぁ、と深い溜息を吐いた。
冬に吐く息よりも、何故か暖かかった。



57: 「夏」 :2007/08/25(土) 23:39:05.24 ID:Li1DZ2py0
返信が遅れたので、すぐにメールが返ってくる事は期待しなかった。
だけど携帯が震え出したのは、それからすぐの事。


(;゚ー゚)『いえいえ、ショボンさんは何も悪くはないです。
    それなのに、こうして頂いては私の気が治まりません!
    あの、もしよろしかったらですが、
    また違う日に、ご馳走させて貰えませんか?』


そこに書かれた文字を見て、今度は僕が困り果ててしまった。

(´・ω・`)(参ったな。余計な迷惑を掛けてしまったようだ)

僕は少しの間思考を巡らせて、メールを打つ。


(´・ω・`)『そう言いますのなら、折角ですので有難く頂戴しようと思います。
      ただ、お詫びだとかそんな気持ちは要りませんよ』


送信した後で、それが本心とは懸け離れている文章である事に気付いた。
いや、本当はこれこそが本心なのだろう。

僕はまた、あの楽しい時間を過ごしたいと無意識に願っていた。



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