(´・ω・`) そしてぼくらはふたたびであうようです。

4: ◆.gjJ1./F5k :2008/03/08(土) 00:31:15.79 ID:FVPmF1Xg0
温かくゆるやかな初春の夕暮れ。
柔らかい夕陽が障子越しに差し込む和室に、僕はいる。

見慣れたはずの障子戸も、押し入れの引き戸も、部屋の隅に寄せられた机も。
そして僕が横たわる蒲団も橙色に染め上げられて、水面越しに見るように霞み、揺れる。

遠くで、鳥が鳴く。
音など聞こえるはずがないのに、そう感じる。

薄く開いた障子戸から、微かに潮が香る。
臭いなど感じるはずがないのに、そう感じる。

僕はこれが夢であることを自覚しながら、心地良い蒲団の感触に夢の中でなお、まどろむ。
そして、嘆息する。

(´・ω・`) (ああ――)



――何年ぶりだろう、この夢を見るのは。



5: ◆.gjJ1./F5k :2008/03/08(土) 00:33:14.41 ID:FVPmF1Xg0
ここは僕の思い出の中の風景。
十年以上前に僕がいた、あの海沿いの家。
今もこのまま残っているのか、それとも変わり果ててしまっているのか、それすらも分からないけれど。

僕は、確かにここにいた。
ここには、確かに――

無造作に伸ばした手がさらりとした生地の感触をとらえる。
少しだけ力を入れて引き寄せると、それは鮮やかな朱の、きめ細かな生地の袖だった。

僕は初めてそれに気付いたようにはっと顔を上げ、隣を見る。
何度も繰り返したはずなのに、初めて気付いたように。

(´・ω・`) (ああ――)

初めてのように驚きながら、僕は見る。
僕の隣に、僕と同じように横たわる少女を。

朱の着物を花弁のように散らして、穏やかな目で僕を見詰め返す、
この障子戸の向こうの海のように深い、澄んだひとみを。



7: ◆.gjJ1./F5k :2008/03/08(土) 00:34:10.58 ID:FVPmF1Xg0
(*゚ー゚)『――ふふっ』

あどけなさの残る顔に、大人びた微笑み。

明るい色の蒲団に、つややかな、くろぐろとした髪を流して。
少しだけはだけた着物の、しどけなく抜けた襟にも無頓着で。

彼女は――僕の頭をそっと引き寄せ、その薄い胸に押し当てる。

そして呟く。

けれどその呟きは、すぐ耳のそばで発しているはずなのに、なぜか自分には聞こえない。
何度も、何度も、繰り返し見ている夢なのに、その言葉は僕自身には届かない。

僕は手を伸ばし、そっと彼女の額に触れる。細い髪が、てのひらに絡む。

僕も、そっと呟く。
自分自身の言葉のはずなのに、やはりその言葉は聞き取れない。
けれどその言葉に、彼女はまた微笑む。

幾度か言葉を交わして、笑い合って。
僕は彼女の身体に身体を預けて、またまどろむ。

そして――



8: ◆.gjJ1./F5k :2008/03/08(土) 00:37:13.49 ID:FVPmF1Xg0
 




(´・ω・`)そしてぼくらはふたたびであうようです。





9: ◆.gjJ1./F5k :2008/03/08(土) 00:39:11.91 ID:FVPmF1Xg0
                    − 1 −

半開きのカーテンから冬の朝日が差し込んで、僕はゆっくり目を開く。
ベッドから身体を起こし、目を擦りながら周囲を見回す。

殺風景な部屋の中に、僕は独り。

今は夏ではない。
ここは海沿いの家ではなく都内のマンションで、窓の向こうにはもちろん海はない。

そして僕の隣には、もちろん、誰もいない。

(´・ω・`) 「夢と知りせば、なんとやら――か」

呟いて、ベッドを降りる。
夕べ床に脱ぎ捨てたスーツとワイシャツを、無造作に踏みつけながらキッチンに向かう。
テーブルの携帯電話を手に取って開く。

午前10時を回っている。
不在着信が、6件。
全て、勤務先の上司からだ。

覚醒しきらない頭でしばし、液晶画面を見る。

と、再び着信。

規則にはうるさい上司が、頭から湯気を立てながら、握りつぶさんばかりの勢いで受話器を
握りしめている様子が余りにも簡単に想像できて、僕は思わず苦笑してしまった。



12: ◆.gjJ1./F5k :2008/03/08(土) 00:41:05.30 ID:FVPmF1Xg0
さて、どうしよう。

今すぐ取って、相手が口を開く前にとにかく謝ろうか。
それとも体調不良だったことにして、午後から出勤しようか。
いっそのこと、今日は休ませて貰おうか。

……いや。

(´・ω・`) 「ダメだ。面倒くさい」

数秒の間考えたが、結局そのどれも選ばずに携帯電話を放り投げる。
携帯電話はイルミネーションを輝かせながら、純白のシーツに着地した。

八分ほど覚醒した頭を抱えながらキッチンに向かい、コーヒーメーカーのスイッチを入れる。

こぽこぽと小気味良い音を立てるそれを見詰めながら、僕はまた、夢の内容を思い出している。

余りにも遠く掠れてしまった思い出の中で、ただひとつ。

鮮やかに記憶に残る赤い着物の袖。
そして、僕の耳には届かなかった、交わした言葉。



14: ◆.gjJ1./F5k :2008/03/08(土) 00:44:08.98 ID:FVPmF1Xg0
湯気の立つコーヒーカップを片手に、リビングのテーブルで夢を反芻する。

昨夜見た夢の内容を覚えているとき、決まって僕はその内容を回想する。
それがどんなに荒唐無稽なものであっても、忘れてしまわないよう、何度も繰り返し。

それが彼女の夢であるなら、なおさらだ。

(´・ω・`)「しかし、久しぶりだな。本当に」

久しぶり。
その言葉をそっと舌に乗せて、回想とともにその感触を反芻する。

ここしばらくは忙しかったのが急に暇になったから、その反動だろうか。
女性との付き合いも――もうずいぶん長い間ないから、そのせいだろうか。

それとも。

(´・ω・`)「未練、かな」

未練は、ある。

やり残したことが、ひとつだけ。

熱いコーヒーを一息に飲み干して、僕はゆっくり立ち上がる。

携帯電話はシーツの上で着信音を響かせ続けていたが、しばし忘れることにした。



15: ◆.gjJ1./F5k :2008/03/08(土) 00:47:09.24 ID:FVPmF1Xg0
クローゼットを開いて、その奥にしまいこまれた不恰好な木箱を取り出す。
埃と湿気よけに、幾重にもかぶせたビニール袋と古新聞を外して、リビングのテーブルの日が当たる場所に
そっと置く。

それは、僕が実家から家出同然に上京したときの、ただひとつの持ち物。
消え入りそうなほどに気恥ずかしく、忘れ去ってしまいたくなるような思いと、それでも捨て切れなかった想い。
ずっしりと重いこの木箱には、それが詰まっている。

(´・ω・`) 「……何年ぶり、だろう」

つぶやいて、ゆっくりと、木箱を開く。

僕がまだ若い頃の一時期。
すべてを賭けたものが、そこに納められている。

どんなに忘れたくても、どうしても忘れられない夢の一部が。

いったんは途切れていた携帯電話の着信音が、また激しく自己主張を始める。
耳障りな電子音を響かせ続けるそれを仕方なく取り上げ、通話ボタンを押した。



17: ◆.gjJ1./F5k :2008/03/08(土) 00:49:42.55 ID:FVPmF1Xg0
僕が遅い朝の挨拶をする前に、上司が低い声で切り出した。

(,,゚Д゚)『ゴルァ。ずいぶんお早いお目覚めだな』

(´・ω・`)「ええ。申し訳ありません」

電話の向こうを想像しながら、僕はゆっくりと答える。
申し訳ない、とは、さして思っていないけれど。

(#,,゚Д゚)『お前って奴は――』

聞き取れないほどに声が低くなる。
だから、相手の怒りが爆発するよりも前に先手を打つことにする。

(´・ω・`)「急ですみません。
      休みをください。今日と、明日」

予想もしていなかった言葉だろう。
僕だって同じだ。

今朝、あの夢を見るまでは。

けれど、あの夢から目覚めたとき。思い返して「未練」という言葉にたどり着いたとき。
そしてさっき、あの木箱を開いたとき。

僕の中で、長い間ずっとふらついていた思いが、軸を得たように形を取り始めていた。

それに僕は気付き始めていた。



19: ◆.gjJ1./F5k :2008/03/08(土) 00:52:39.88 ID:FVPmF1Xg0
たった数秒間の、長い沈黙。
耳に押し当てた携帯電話のスピーカーからは、オフィスの同僚たちのざわめきが微かに聞こえてくる。

その後に、また低い声で。

(,,゚Д゚)『――女か?
     それとも、家か?』

女性がらみのことなのか。それとも、家庭がらみのことなのか。
そう聞いている。

少し迷って、素直に答える。

(´・ω・`)「両方です。
      ……片方は、たぶん」

(,,゚Д゚)『一応言っとくが、ウチには人の仕事を肩代わりしようなんて見上げた根性のモンはいないからな。
     帰ったら、せいぜい寝ないで働けゴルァ』

(´・ω・`)「感謝します」

(,,゚Д゚)『けっ。とっととどこへでも行っちまえゴルァ!』

厳しい言葉とは裏腹に、受話器を置く音は静かだ。
僕も軽く頭を下げて、携帯電話を切った。



20: ◆.gjJ1./F5k :2008/03/08(土) 00:54:55.57 ID:FVPmF1Xg0
昔から、自分の好きなことをするときだけ行動が早いと言われる。
今回もそのご多分に漏れず、だ。

僕の目の前には、小型のキャリーバッグがある。
中身は最低限の着替えと日用品。

それに、ゆがんだ木箱。

国内線の航空会社のサイトから空席を探す。
空いていなければ電車を使うまでだと覚悟していたが、思いの外簡単に空席が見つかった。

窓際の席を予約し、バーコードが印字されたチケットをプリントアウトする。

キャリーバッグを引いて、一人玄関に立つ。

後は、出発するだけだ。

けれど。



これから帰る場所に、僕を迎えてくれる人はいるのだろうか?



21: ◆.gjJ1./F5k :2008/03/08(土) 00:56:53.38 ID:FVPmF1Xg0
九州本島から西に離れた小島。
造船所と炭坑夫の集合住宅跡のある、小さな町。

僕がまだ幼い頃は橋すらなく、日に数便の高速船だけが外の世界との接点だった。

僕は、そこで生まれた。

とても狭い世界だった。
すべての住人が知り合いで、目新しいものも、にぎやかな場所もなかった。

僕は、うんざりしていた。

一生をこんな離れ小島で過ごすのだろうか。
そう考えるといてもたってもいられなくて、もっと広い世界で自分を試したかった。

だから、僕は逃げた。

行き先も、展望もないまま、ただ「もう戻らない」と言い残して家を出た。
この木箱ひとつだけを抱えて。

そして、結局は。



22: ◆.gjJ1./F5k :2008/03/08(土) 00:59:24.97 ID:FVPmF1Xg0
――俯いて、ドアにもたれる僕の耳の奥で、唐突に。



(*゚ー゚)『わたし、待ってるよ。
     ずっと、ずっと、待ってるよ』



あの夢の、部屋の中で。
僕の耳元で、あの娘が発した言葉の断片。

それが、蘇る。

(´・ω・`) 「――そうだ。
      そうだよね」

そうだ。

行かなければ。

彼女はもう、待ってはくれないかも知れない。
いや、待っていてくれるはずがない。

けれど、「彼女」は、きっと今もまだ、僕を待っている。



24: ◆.gjJ1./F5k :2008/03/08(土) 01:01:41.24 ID:FVPmF1Xg0
(´・ω・`) 「よし。
      帰ろう、あそこに」

それでも、心のどこかでは、きっとまだ戸惑っている。
後ろめたさとわだかまりは、まだ胸の底に重い澱を残している。

だから、そんな自分を吹っ切るように、声を出す。

僕自身の気持ちが萎えてしまう前に、行動すればいい。

そうすれば、後悔する暇もないはずだ。

(´・ω・`) 「じゃ。――行ってきます」

誰もいなくなった部屋に、誰に言うでもなく声を掛けて、僕はドアを開いた。



25: ◆.gjJ1./F5k :2008/03/08(土) 01:03:32.12 ID:FVPmF1Xg0
                    − 2 −

九州の空港に着いた時には、日はもうすっかり暮れていた。
南の地方特有の高い空も、遠くに見える海も、今は等しく闇の中に沈んでいる。

ただ、並ぶ街路灯だけが、滑走路のビームと同じように車道を照らしている。

この時期、この地方でも冷え込みは厳しい。
すこし薄着しすぎたかなと思いながら、僕は待合所で缶コーヒーをすする。

(´・ω・`) 「それにしても、全然変わらないよね。ここ」

入っている店こそずいぶんと様変わりしてしまったが、建物は懐かしくなるくらい昔のままだ。

東京の空港のように明るくもなく、開放的でもないゲートを抜け。
むき出しのコンベアから荷物を探して、古ぼけたタイルを踏みしめて。
動物園の檻にでもあるような、鉄柵の設えられた出入り口をくぐる。

あの時――僕がここから逃げ出したとき、そのときと全く逆の道のりを辿って、僕は帰る。

怖い。逃げたい。たまらなく緊張している。
けれど、心のどこかでは安心しかけている自分がいる。

家出をして、連れ戻されたらこんな気分なんだろうか、と思いながら、僕は空き缶をくずかごに投げ捨てた。

待ち続けていたタクシーが、外のロータリーに止まるのが見えた。



26: ◆.gjJ1./F5k :2008/03/08(土) 01:05:10.39 ID:FVPmF1Xg0
――それは、夢。

僕は、彼女の胸に顔をうずめて、そっと呟く。



(´・ω・`) 『約束する。
      必ず戻ってくるよ。だから、待ってて』



あの夢の、部屋の中で。
彼女の耳元で、僕が発した言葉の断片。

それは果たせなかった約束。

それは――



(=゚ω゚)「お客さん。ついたょぅ。
     あんまり寝こけてると、メーター回っちまうょぅ」

意識が一気に引き上げられて、目を開く。

車内灯が頼りなくともるタクシーの後部座席で、僕は身体を起こしていた。



27: ◆.gjJ1./F5k :2008/03/08(土) 01:08:06.40 ID:FVPmF1Xg0
(´・ω・`) 「あ……ああ。ごめん」

慌てて支払いを済ませ、車外に出る。

(=゚ω゚)「車がないと、本島には戻れないからょぅ。
     良ければ帰りも使ってくれょぅ」

本島とこの島をつなぐ橋は、徒歩では渡ることができないようだった。

(´・ω・`) 「あ、どうも。ありがとうございます」

運転手が差しだしたタクシー会社の名刺を受け取り、ひとこと礼を言う。
見送る僕の目の前から、タクシーはテールランプの軌跡を残して走り去っていった。

真っ暗闇の防波堤に、独り取り残される。
街路灯も、イルミネーションも、車のランプもない、限りなく深い闇。

東京の海とは違う、爽やかで濃い潮の臭いを吸い込む。

(´・ω・`) 「――あ、星」

見上げると、夜空には大小いくつもの光点。

その中心に、ひときわ大きく輝く月が丸く、空にかかる。

耳を澄ませば、波の音。
波などどこで聞いても変わらないはずなのに、何故か懐かしく感じる自分がいる。



28: ◆.gjJ1./F5k :2008/03/08(土) 01:11:05.79 ID:FVPmF1Xg0
ここが、旅の終わりだ。

それは、東京の部屋からここまでの、短い旅なのか。
それとも、ここを飛び出してから戻ってくるまでの、長い、長い旅からなのか。

それは、僕自身にも分からなかった。

(´・ω・`) 「さて、帰ろうか」

自分の手元も見えない闇の中で、呟く。
誰に言うわけでもないのに、呼びかけるような口調で。

家までは、ここから歩いて5分ほどだ。

荒い舗装のアスファルトを一歩一歩踏みしめながら、僕は奇妙な感慨を味わっている。

長い間欠けてしまっていたものを、少しずつ埋めていくような。
石を積むことで罪の重さを精算するような。



きっと僕は、償っているのだ。
家の玄関が見えてくる頃になって、唐突に、そう気付いた。

僕は、許して欲しいのだ。



30: ◆.gjJ1./F5k :2008/03/08(土) 01:15:03.27 ID:FVPmF1Xg0
すりガラスの引き戸に、ゆっくり手を掛ける。

一気に引き開けようとして、手を離し、一歩下がって深呼吸をして。

そして玄関のチャイムを押した。



きんこん――響くその音は、一気に郷愁をかき立てて。



J( 'ー`)し「はいはい、どなたで――」

不用心にも鍵の掛かっていない引き戸を開いて現れた母の顔は、皺が増えていて。

その顔がゆっくりと、余所行きの表情から驚きの色に染まっていくのを見て。

僕は、子供のように両の拳を握りしめて。

(´・ω・`) 「――た」

どんな顔をしたらいいのか、分からなくて。

(´;ω;`) 「ただ、いま――」

だから、たった四文字の言葉さえも言い切れずに、泣いた。



32: ◆.gjJ1./F5k :2008/03/08(土) 01:18:18.42 ID:FVPmF1Xg0
母は、無言で僕の肩を抱いた。

そして、少し湿った声で、おかえり、と呟いて。

身体を引いて、僕の目を見ながら、いつものような――僕が出て行った頃のような明るい声で、言った。

J( 'ー`)し「全く、バカなんだから。
      ここはあんたの家なんだから、いつでも帰ってきていいんだよ」

(´・ω・`) 「うん……ごめん」

僕は照れ隠しに、乱暴にてのひらで涙を拭って、謝った。

そこに。

(`・ω・´)「おい、母さん。
      一体、どうした――」

三和土のゴム草履をつっかけて。

幾分丸くなった背中で、母と同じように、皺と白髪を増やして。
それでも、低く落ち着いた声は昔のままの父が顔を出して――同じように絶句した。



33: ◆.gjJ1./F5k :2008/03/08(土) 01:21:19.94 ID:FVPmF1Xg0
変わらない。
何も、変わらない。

言葉少なに、3人で夕食を食べた後。

ちゃぶ台を囲んで、父と母と3人。
僕は、所在なさげに部屋の中を見回す。

広々とした和室に染みついた、潮と仏壇からの線香の臭い。
黒ずんだ梁が支える天井。

一昔以上前の家具も、しまわれずに部屋の隅に放置されている扇風機も。

縁側の木戸を閉じて石油ストーブを焚いているので、寒さは感じない。
そのストーブも、僕がまだ家にいる頃から使っているものだった。

母は、明るい笑顔で――それでも、時折目の端を拭って。

父は、いつものように無表情で。

すっかり冷えたお茶の湯飲みを前にして、座っている。

沈黙。

ボリュームを絞ったテレビから、少し訛ったニュースキャスターの声だけが部屋に響いている。



35: ◆.gjJ1./F5k :2008/03/08(土) 01:23:22.25 ID:FVPmF1Xg0
(´・ω・`) 「あの――」

耐えきれず、僕が口を開くと。

(`・ω・´)「仕事は、してるのか」

それを待っていたように、父が言葉をかぶせた。

静かだけれど、有無を言わせない迫力があるその声は、今でも苦手だった。

(´・ω・`) 「……うん」

(`・ω・´)「借金は」

(´・ω・`) 「ないよ」

答えながら僕は、まるで取り調べだな、と思う。

それも、行方不明事件の。



37: ◆.gjJ1./F5k :2008/03/08(土) 01:25:55.30 ID:FVPmF1Xg0
(`・ω・´)「家は、持ったのか。
       嫁は、まだか」

質問――というより詰問――は続く。

急に話が飛躍したような気がするけれど、それは口に出さず、答える。
父の隣で、母がくすりと笑うのが見える。

(;´・ω・`) 「……どっちも、まだだよ。
       努力はしてるつもりなんだけど」

(`・ω・´)「そうか」

また、父は黙り込む。

黙り込んで、僕の顔をじっと見る。

そして、また低い声で。

(`・ω・´)「夢は、叶わなかったのか」

静かに、言った。

その声は、溜息のようだった。

(´・ω・`) 「――――!」



38: ◆.gjJ1./F5k :2008/03/08(土) 01:27:57.97 ID:FVPmF1Xg0
音を立てて、記憶は回る。
それは、ことり、と音を立てて、あるべき場所に収まる歯車。



(*゚ー゚)『絶対だよ。夢が叶ったら、絶対に帰ってきてよ。
     それまで、わたしとの約束、ちゃんと覚えててね』



あの夢の、部屋の中で。
僕の耳元で、あの娘が発した言葉の断片。

それはここから逃げだそうとしている僕への、精一杯の励ましの言葉。

それなのに、僕は――

(´・ω・`) 「……うん。からっきしだったよ。
      やっぱり、才能なかったみたいでさ……ははっ」

照れ隠しに、笑いながら。

いや、むなしさを紛らわすために、笑いながら。

本心を隠して、打ち明ける。



39: ◆.gjJ1./F5k :2008/03/08(土) 01:30:07.57 ID:FVPmF1Xg0
(`・ω・´)「そうか」

けれど、父は静かに頷いただけ。

その「そうか」がどんな意味なのか、僕には良く掴めない。
父が何を考えているかは、いつも分からずじまいだ。

(´・ω・`) 「――父さん」

(`・ω・´)「何だ」

(´・ω・`) 「怒る気は、ないの?
      高校を卒業するなり家を飛び出して、10年以上も経ってから帰ってきた放蕩息子を」

すると、父は少しだけ笑って、答えた。

(`・ω・´)「ああ。
       お前が手に職も付けずに帰ってきたら、半殺しにして叩き出すつもりだった」

思わず苦笑する。

ああ、そうだ。

父は、そういう人だった。



40: ◆.gjJ1./F5k :2008/03/08(土) 01:32:07.87 ID:FVPmF1Xg0
(`・ω・´)「お前の部屋は、ずっとそのままにしてある。蒲団ぐらい、自分で敷いて寝ろよ。
      ――長くは、いられないんだろう?」

(´・ω・`) 「うん」

僕は頷いて、立ち上がる。

部屋がそのままなのは、嬉しかった。
前の続きから始められる。

そう思うと、一刻も早く部屋に戻りたくなった。

(´・ω・`) 「部屋、戻るよ」

立ち上がって、今を出る僕に。

(`・ω・´)「――いい経験になったか? 都会に出て」

(´・ω・`) 「うん。
      ……ありがとう」

振り返ると、父はもうテレビに視線を向けている。

母は、にこにこと僕を見ていた。



43: ◆.gjJ1./F5k :2008/03/08(土) 01:33:32.02 ID:FVPmF1Xg0
                    − 3 −

(´・ω・`) 「あ……」

部屋のふすまを開けて、僕は声を上げる。

僕が出て行った後の部屋は、あまりにもそのままだったから。

窓や押し入れを塞いで設えられた棚には、溢れそうなほどの図鑑。
机は隅に寄せられて、そこにも本が積まれている。

僕が出て行った後も、掃除だけは欠かさずにいてくれたのだろう。
棚にも、机にも、埃一つない。

そして、部屋の中央には、暗い色の布を掛けられた木製の台。

これまで、僕が出て行ったときのまま。

これこそ、僕の未練。
ここを逃げ出して、それでもたったひとつ心残りであり続けたもの。

僕はそっと手を掛け、その覆い布を、取り払った。



45: ◆.gjJ1./F5k :2008/03/08(土) 01:34:51.37 ID:FVPmF1Xg0
繰り返す夢の、遠い彼方で呼びかける声。
夢の中では聞こえなかった、それは僕のただひとつ、やりのこしたこと。



(´・ω・`) 『もちろんさ。まず最初に、あの絵を仕上げてあげるよ。
      夢が叶って、僕が偉い絵描きさんになったら、きっと』



あの夢の、部屋の中で。
あの娘の耳元で、僕が発した言葉の断片。

それは夢が叶うことを疑いもしなかった、若く、強く、傲慢ですらある僕。

そのころの僕が残したものが、今、目の前にある。

それは、イーゼルに掛かった一枚の大きなキャンバス。

それは、未完成の絵。

それは、夕日の中、縁側に座ってこちらを見上げはにかむ、赤い着物の少女の絵。



それは――しがらみに埋もれていった僕の、果たすことができなかった約束。



47: ◆.gjJ1./F5k :2008/03/08(土) 01:36:42.87 ID:FVPmF1Xg0
キャリーバッグから取り出した木箱を、ゆっくりと開く。

立ちのぼる濃厚なテレピン油のにおいの裏に、鼻を突く刺激臭。
蛍光灯の光を乱反射させて輝く、色とりどりの紙の帯を巻かれたアルミのチューブ。

木製のパレットには油脂が染みついて、ニスを掛けられたような光沢を保っている。
紐で束ねられた絵筆は、多少毛先が乱れているものの、いつでも使える状態だ。

そしてその隅に、小さな――うす青く透き通る、ガラスのおはじき。

僕がすべてを賭けたもの。
そして挫折とともに投げ出し、封じ込めて、忘れようとしたもの。

そのありったけが、この木箱には詰まっている。

(´・ω・`) 「やぁ。
      お久しぶり――なのかな」

絵の中で僕を見る少女に、そっと声を掛ける。

(´・ω・`) 「随分、遅くなったけど。約束は守らなきゃね。
      偉い絵描きさんには、なれなかったけどね。ごめんよ」

ごめんよ。

本当に、ごめん。



48: ◆.gjJ1./F5k :2008/03/08(土) 01:39:00.50 ID:FVPmF1Xg0
一歩下がって、キャンバス全体を見る。

油絵の製作工程には、下描き、中描き、仕上げの3つの段階がある。
少女の絵は、仕上げの途中で終わっている状態だ。

ほとんどの箇所は中描きの状態、つまり塗っている最中の状態のままになっている。
また、仕上げの部分も今見ると荒かったり、隣り合う色が混ざって濁ってしまっている部分がある。

この絵を――僕は、直せるだろうか。

技術的な問題は当然だ。

絵を描くのを止めてしまってからも、手慰みに時折デッサンや、会社の社内報に載せるイラストを
描いたことは何度かある。

けれど、油絵を描くのは、本当に久しぶりのことだからだ。

それに、この絵自体の問題もある。

10年間以上も放置していたキャンパスに、そのまま絵の具を乗せることができるだろうか?
絵画にとって、ただでさえ塩分を含んだ潮風は大敵だというのに。

(´・ω・`) 「どうしたものか――、な」

何の気なしにキャンバスの隅の、絵の具が盛られた部分を押し込んで――僕は言葉を切った。



49: ◆.gjJ1./F5k :2008/03/08(土) 01:42:20.44 ID:FVPmF1Xg0
キャンパスに触れた指に、絵の具がべったりとこびりついている。

(´・ω・`) 「なんだ、これ。
       これじゃ、まるで」

指を鼻に近付けると、顔料が練り込まれた油の臭いが強く嗅ぎ取れる。

そう。
これじゃまるで、つい昨日中描きを終えたばかりみたいじゃないか。
これから仕上げをするには、まさに最適の状態だ。

しかし、なぜ?

こんなことは、ありえない。
この絵は、僕が10年以上前に描きかけてそのままにしていた絵なんだぞ?

部屋の湿度のせいだろうか。
それとも、掛けられた布からなにかの成分が揮発して、絵の具と反応した?

皆目見当が付かない。



50: ◆.gjJ1./F5k :2008/03/08(土) 01:44:49.86 ID:FVPmF1Xg0
けれど。

(´・ω・`) 「これなら――」

そう。
理由なんて、どうでもいい。

これなら、この絵を、今すぐにでも直し始められる。
僕にとっては、その方がよっぽど大きい。

部屋には、時計がない。だから、今が何時何分なのかも分からない。

でも、時間は限られている。

後のことは後で考えればいい。
休み明けがきついかも知れないけれど、こちらの方が先約だ。

行きがけに買った何種類かの油と、絵筆を取り出して机に並べる。

油は、絵の具を溶くのに使う。
とはいっても、水彩画の水とは使い方は全く異なるのだけど。

懐かしい油の匂いを楽しみながら、準備を進める。

そうしながら、思い出している。
もう、僕の記憶を妨げるものはどこにもないから。



52: ◆.gjJ1./F5k :2008/03/08(土) 01:46:07.34 ID:FVPmF1Xg0
僕の前にある、彼女の絵。
僕の前にはもういない、歩いて、笑って、話しかけてくれる少女。



(*゚ー゚)『本当に? わたしの絵、描き上げてくれる?
     この下書きみたいののままじゃなくて、ちゃんとキレイに描いてくれる?』



あの夢の、部屋の中で。
僕の耳元で、あの娘が発した言葉の断片。

それは、聞こえなかったあの言葉を、あの夕暮れの中で交わした会話を。
そして、彼女と僕との出会いをさかのぼるためのきっかけ。



55: ◆.gjJ1./F5k :2008/03/08(土) 01:48:23.74 ID:FVPmF1Xg0
                   − 4 −



――ねえ。何をしてるの?



最初の思い出は、夏の日差しの中。

父は造船所勤め。母は畑仕事。
僕はひとりで、スケッチブックを広げて縁側に座っている。

濃紺の空に盛り上がる雲。
融けてしまいそうなほどに熱く、白い夏の太陽。
僕がスケッチしている背の高い向日葵の花の隙間から、問う声があった。

(´・ω・`) 「……?」

背の高い茎を揺らして、ひょっこりと顔を出したのは、小さな女の子だ。

(*゚ー゚)「ね。何してるの?
     夏休みの宿題?」

赤い着物を翻して、つっかけをぱたぱたぱた、と鳴らして。
僕が答えるよりも前に、彼女は僕の目の前にいた。

それが、彼女との出会いだった。



56: ◆.gjJ1./F5k :2008/03/08(土) 01:49:42.85 ID:FVPmF1Xg0
(´・ω・`) 「宿題じゃないよ。趣味なんだ。絵を描くのが」

(*゚ー゚)「ふーん。
    変わってるんだね」

そう言って彼女は、屈託なく笑った。
その笑顔に文句を言う気にもなれずに、僕はただぶっきらぼうに、悪かったね、と言ってスケッチに戻った。

彼女はそれからもあれこれ言っていたようだったけれど、愛想を尽かしたのか、飽きたのか。
ぱたぱたと足音を響かせて去っていった。

後ろに手を振って、またね、と言い残して。

それからも、彼女は何度も僕の所に遊びに来た。

(*゚ー゚)「ね。今日は、何を描いてるの?
     ひまわり? あさがお? それとも、海? 空? 田んぼ?」

僕にどんなに素っ気なくされても、彼女は諦めなかった。

スケッチに励む僕の目の前を、くるくると歩き回って。
パレットに細い指をつっこみ、絵の具まみれになった指を開いて、汚れちゃった、と笑った。

時には僕の手をスケッチブックから引きはがして、おはじきやビー玉遊びに付き合わせた。
僕は戸惑いながら、青や赤や黄色や、様々な色のガラス細工を放って、弾いて、彼女と遊んだ。



58: ◆.gjJ1./F5k :2008/03/08(土) 01:51:55.84 ID:FVPmF1Xg0
そんな彼女をたしなめ、相手しながら、何日もが経った。
僕は少しずつ、彼女の爛漫さと、純真さと――愛らしさに、惹かれ始めているのに気付いていた。

おかしいだろうか?
高校生の僕が、年端もいかない女の子に惹かれていたなんて。

でも、それは本当だ。
彼女とよく話すようになってから、朝も、昼も、夢の中でも。
そして――僕が時折、淫らな妄想にふけるときでさえも、彼女の顔は、躰は、目の前にちらついていたのだから。

そう。

僕は、彼女に恋していた。
それは否定しようのない事実だった。

僕のスケッチブックには、次第に彼女の絵が増えていった。
何冊も何冊ものスケッチブックが彼女の絵で埋め尽くされていくのに、さほど時間は掛からなかった。

最初は控えめな素描。
手や足や、顔の造作の試し描き。

そして、そっと盗み見た笑顔の横顔、黒くまっすぐな髪がかかる、耳からうなじにかけての柔らかい曲線。
赤い着物の袖と裾から伸びる、しろく細い手足。
僕を見上げて首を傾げるようにして笑う、その笑顔。

今でも、今なら、全て思い出せる。
彼女の顔なら、睫毛の数だって思い出せそうな気がする。



59: ◆.gjJ1./F5k :2008/03/08(土) 01:53:50.27 ID:FVPmF1Xg0
――今。

この部屋は、暗い。
蛍光灯の明かりも、あの夏の日差しには比ぶべくもない。

けれど、僕の記憶にはありとあらゆる彼女の姿が残っているから。
だから迷うことはなかった。

僕はキャンバスに向かって無心に絵筆を動かす。
そうすることで彼女の姿をより鮮明に思い出す。
そしてそれをキャンバスに刻みつけていくことで、なお一層彼女を思い出す。

(´・ω・`) 「違う。彼女の眼は、もっと丸かった。
      彼女の指は、もっと柔らかかった。彼女の髪は、もっと――」

もっと、もっと。
彼女が確かにここにいたのだと、僕がもっと確信できるように。

彼女の。彼女の。彼女の――そう。
――僕は、彼女の名前さえ知らないのだ。

どこに住んで、何をしていて、今どこにいるのか。
それらを、何も知らないのだ。

彼女の存在を僕に証明してくれるもの。
それはこの世にただ一つ、このキャンバスだけ。



61: ◆.gjJ1./F5k :2008/03/08(土) 01:55:45.68 ID:FVPmF1Xg0
逢いたい。

一度でいいから、逢いたい。
君は今、どんな大人に成長しているのだろう。

背は伸びただろうか。声は落ち着いただろうか。
いろいろなことを学んで、いろいろな経験をして、そして――美しい大人の女性になっただろうか。

(´・ω・`) 「逢いたいな」

絵は、かつての彼女の姿を、僕自身の手で取り戻していく。
僕はそれを見て、一層寂しさを噛みしめる。

(´・ω・`) 「君に……逢いたいな」

誰に言うともない、独白。

(´;ω;`) 「一度でいいから……逢いたいな」

血を吐くような。



62: ◆.gjJ1./F5k :2008/03/08(土) 01:57:55.46 ID:FVPmF1Xg0
僕はそれきり無言で、腕を動かす。
自分でも驚くほどの勢いで。

細部まで描き込まれていくにつれ、絵の中の少女に命が宿るような気がして。
今にも彼女がこのキャンバスを抜け出して、僕に笑いかけてくれるような気がして。

そんなことが起こるはずもないと分かっていながら、ただひたすらに。

逢いたい。

逢いたい。

逢いたい。

その想いだけをキャンバスに塗り込める。

畳の目が、青々と浮かび上がる。
障子戸の枠の木目に区切られた障子紙を透かして橙の日が差し込み、すこし首を傾げた彼女の
日差しに面した頬が照り映える。

朱の着物に寄る皺と陰影が細かに描き加えられて、すこし露わになった太股を薄くかげらせる。
笑みを形作り、緩い弧に細められた瞼から僅かに除く瞳は、深く輝いて。

キャンバスの彼女は、かつての姿を取り戻してますます美しい。



64: ◆.gjJ1./F5k :2008/03/08(土) 01:59:51.79 ID:FVPmF1Xg0
どれくらいの時間が経ったのだろう。

夜の暗さが一層身に染みて、戸の隙間から忍び寄る寒さが手を震わせる程に
感じられるようになった頃。

――彼女の絵は、完成した。

僕の目前で、あの頃の彼女が。
溜息が出るほどに鮮やかに、僕の目の前で微笑んでいた。

(´・ω・`) 「やっと、できたよ。
      見てくれてる……はずは、ないな」

返事は、当然帰ってこない。
けれど僕は満足だった。

(´・ω・`) 「ふあ……眠い」

限界だった。
部屋の隅の机の、摘まれた本に腰掛けて壁に背中を預ける。

君に、この絵を見せたかった。
これを見たら、君はなんて答えるだろう。

きっと、喜んでくれるよね。

彼女の笑顔を想像しながら、僕の意識は沈んでいった。



65: ◆.gjJ1./F5k :2008/03/08(土) 02:01:21.18 ID:FVPmF1Xg0
      


――この島を出る。
   自分の実力を試したいんだ。



卒業式の翌日。
僕は重い頭を抱えて、縁側に敷いた蒲団に座っている。

さんざん考えていたせいで、横になったはいいが、結局一睡もできなかったのだ。

(´・ω・`) 「ごめんね。君の絵、描きかけになってしまうけど。
      帰ってきたら――僕が偉い絵描きさんになって帰ってきたら、必ず仕上げるから。
      約束、するよ」

庭に立つ彼女は、少し首を振って、それから頷いて、笑う。
そして――縁側から、僕の蒲団めがけて飛び込む。

つっかけが飛び、黒い髪が舞い、赤い着物が散る。
気がつくと、彼女は隣に。

彼女はそっと、僕の頭を、そのうすい胸に抱きすくめる。

そして、呟く。



67: ◆.gjJ1./F5k :2008/03/08(土) 02:03:30.51 ID:FVPmF1Xg0
(*゚ー゚)「本当に? わたしの絵、描き上げてくれる?
     この下書きみたいののままじゃなくて、ちゃんとキレイに描いてくれる?」

僕は手を伸ばし、そっと彼女の額に触れる。細い髪が、てのひらに絡む。

(´・ω・`) 「もちろんさ。まず最初に、あの絵を仕上げてあげるよ。
      夢が叶って、僕が偉い絵描きさんになったら、きっと」

その言葉に、彼女はまた微笑む。

(*゚ー゚)「絶対だよ。夢が叶ったら、絶対に帰ってきてよ。
     それまで、わたしとの約束、ちゃんと覚えててね」

(´・ω・`) 「約束する。
      必ず戻ってくるよ。だから、待ってて」

言葉を交わして。

(*゚ー゚)「わたし、待ってるよ。
     ずっと、ずっと、待ってるよ」

笑い合って。

そして僕は彼女の身体に身体を預けて、またまどろむ。



69: ◆.gjJ1./F5k :2008/03/08(土) 02:05:21.75 ID:FVPmF1Xg0
残照のぬくもりの心地よさに、昨夜の睡眠不足。
僕はせっかく彼女といるというのに、ともすれば眠り込んでしまいそうになる。

そんな僕を見て、彼女は。

(*゚ー゚)「ね。交換こ、しよ?
     絵ができあがったら、わたしの宝物と交換してあげる」

そう言って懐を探り、いくつものビー玉を取り出す。
深い青色のそれは、彼女のてのひらで夕日を受けて、群青の影を蒲団に落とした。

それはまるで、この縁側から見る真夏の海の、水平線に近いところのような色だった。

(´・ω・`) 「――ああ。交換こ、しよう。
      君が僕の、初めてのお客さんだね」

僕は笑って、頷き返す。

彼女も、笑う。

(*゚ー゚)「――ふふっ」

そして――



71: ◆.gjJ1./F5k :2008/03/08(土) 02:07:02.04 ID:FVPmF1Xg0
 


(*゚ー゚)「約束、守ってくれたね――ありがとう。
     わたし、大事にするよ。
     ――ずっと、ずっと」



72: ◆.gjJ1./F5k :2008/03/08(土) 02:10:40.75 ID:FVPmF1Xg0
――すえた油脂と、埃の匂い。
開きかけの戸から吹き込む、微かな潮風。

ここはどこだったっけ、と考えて、一拍子置いて自分の家にいることに気付く。
隅の机の、積まれた本に突っ伏していた僕は、ゆっくりと身体を起こす。

木戸の隙間から、眩しい陽が細く差し込んでくる。

朝だ。

(´・ω・`) 「寝ちゃったのか。参ったな」

蒲団も敷かずに寝ていたので、全身の関節が痛んだ。

首を回してごりごりと鳴らし、部屋の真ん中にあるイーゼルを見る。



彼女は、そこにはいなかった。



正確に言えば、彼女の絵が――キャンバスが、綺麗に消え失せていた。
初めからそんなものはなかった、とでもいうように、イーゼルだけが部屋の中央で細い光に照らされていた。



74: ◆.gjJ1./F5k :2008/03/08(土) 02:12:22.89 ID:FVPmF1Xg0
(´・ω・`) 「な――」

僕は思わず、部屋の中を見回す。
過ぎ去った時間を忘れさせるように、何から何まで記憶のままの部屋を。

耳の奥が痛くなるほど静まりかえった部屋には、僕ひとり。

積まれた本。散らばった画材。
朝だというのに灯ったままの蛍光灯のまたたき。

薄い朝靄が部屋の中にまで入り込んできたようにうすく霞がかって見える、僕の部屋。

その中にひとつだけ、木戸から伸びる陽に晒されて床で輝くものがある。
僕はかがみ込み、それを手に取る。



それは、深く青く、透き通ったビー玉だった。



77: ◆.gjJ1./F5k :2008/03/08(土) 02:14:13.16 ID:FVPmF1Xg0
僕は部屋の戸をそっと開き、外に出る。

静かだ。

鳥の声も、潮の香りも、感じられない。

居間には、誰もいない。

開け放たれた縁側の障子戸から、眩しい光が降り注ぐ。
僕はそこに座り、陽を浴びながら目を細め、外を見る。

まだ若い向日葵の苗が、天に向かってまばらに伸びようとしている。

(´・ω・`) (ああ――)

僕は嘆息する。

植え込みの向こう側、低いコンクリの塀の更に向こう。
朝の海が、静かに広がっていた。

雲の切れ目から差す陽が水面を照らして、朝焼けの陽は、海と交わる水平線をバニラ色に染める。

朝焼けの余韻が残るその日差しは、これから暮れようとしていく夕日に似ていた。



79: ◆.gjJ1./F5k :2008/03/08(土) 02:17:37.12 ID:FVPmF1Xg0
僕は、夢を見た。
遠い昔の夢を。

そして、ここまで戻ってきて、約束を果たした。

(´・ω・`) 「――僕の故郷の家には、わずかばかりだが良田があった。
      あのまま暮らしていさえすれば飢えと寒さをしのぐことくらいはできたのに、
      何を苦しんで夢を求めるようなことをしたのだろう」

どこまでが、夢なのだろう。
どこからが、現実なのだろう。

(´・ω・`) 「そのせいでに、今はこの体たらくだ。
      昔、学生服を着て港に向かう道を歩いていた頃のことが思い出される」

僕は、夢を見ているのだろうか。
僕は、夢から醒めたのだろうか。

(´・ω・`) 「あのころがなつかしいが、今はもうどうにもならない――」

それは、たった一瞬の夢だったのだろうか。
それは、10年以上を経た夢だったのだろうか。

僕は、いつから――

そこで僕は、考えるのをやめた。

そして、あの向日葵が高く、高く伸びて大輪の花を咲かせるその日を、待ち遠しく思った。



80: ◆.gjJ1./F5k :2008/03/08(土) 02:19:15.60 ID:FVPmF1Xg0
   
拾ったビー玉をひとしきりもてあそんで、ぽんと投げ上げる。

深い青のビー玉は初春の陽の光を受けて、鮮やかな青い影を床に踊らせ、そっと地面に落ちる。

それはまるで、この縁側から見る真夏の海の、水平線に近いところのような色だった。

それはまるで、彼女の瞳のようだった。

それはまるで――決して終わらない僕の夢が封じ込められた、小さな世界のようだった。



――ぱたぱたぱた、とあの小さなつっかけの足音が、今にも聞こえてきそうな気がして。

僕はいつまでも、いつまでも、

柔らかい日差しの中、そこに、

ずっと、座っていた。



81: ◆.gjJ1./F5k :2008/03/08(土) 02:21:32.88 ID:FVPmF1Xg0
   
――ねえ。

――なあに?

――名前、教えてくれないかな。
   聞くの、忘れてたからさ。ずっと。

――忘れてた?
   ふふっ、そうだね。ずっと、忘れてたね。

――僕は、ショボン。ショボンっていうんだ。

――ふうん。じゃ、ショボンお兄ちゃん、だね。
   ね、ショボンお兄ちゃん?

――ああ、そうだよ。
   君の、名前は?

――わたしの名前はね……ふふっ。



   わたしの、名前は――――



そしてぼくらはふたたびであうようです。<了>



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