( ^ω^)ブーンはかえってくるようです

8 : ◆y7/jBFQ5SY :2006/12/14(木) 18:59:34.36 ID:jpnEBPOY0O
  

          ―― 一 ――



空を見上げる。
青く塗りたくった空に、ぬんわりと浮かぶ白い雲。
枠線を曖昧に、ギラリと輝き街を焦がす太陽。
長いしっぽを引きつれ、亀のように進むジャンボジェット。

地上を見下ろす。
行きかうひとびとが汗をしたたらせ、落ちたしずくがゆらめくコンクリートに当たり、“ジュッ”と音を立てる。
鈍行な列車が音をたて、投げ捨てられたビニールが空を舞う。
使用者のいない公園のブランコが、風にゆられてきいきい軋む。

いつもと同じ日常。昨日も、一昨日も、その前もその前も、長いこと、ずっと。

「……くあ」

大きく口を開け、あくびをした“ふり”をする。
空気に嫌われたぼくの体には、新鮮な酸素は入ってこない。……空気に限ったことではないが。
外の景色から目を離し、板張りの床の上にうつぶせに倒れこむ。床は好きだ。ぼくを無視しないから。
壁も塀も屋根も、空気も風も水も、草も、虫も、犬も猫もあったかいもつめたいもにおいも痛いも眠いも――ひとも、みんなぼくを無視する。
けれど、床は無視しない。いいやつだ。なぜ床は無視しないかというふしぎは無視する。

体を捻って転がり、仰向けにぼーっと空をみる。青い圧迫感が、ぼくへと圧しかかってくる。
青色の天井は徐々に地面へと迫り、ついにはぼくごと世界を押しつぶしてしまった――。
そんなくだらない妄想をしてしまうほどに、ぼくは飽いていた。飽いて、そして餓えていた。そう、ぼくは、今、とてつもなく……。

( ´ω`)「ひ〜ま〜だ〜お〜」



9 : ◆y7/jBFQ5SY :2006/12/14(木) 19:01:34.95 ID:jpnEBPOY0O
  

ぼくの声は誰に伝わるでもなく、空気中へ霧散した。
どこかでセミが鳴く。ぼくにはそれが、ぼくをバカにするわらい声にきこえた。
文句でも言ってやろうかと思ったが、やつは卑怯にも姿を現さず、声だけがいつまでも響き渡る。
いいさいいさ。今の内に存分にわらっておけ。夏の終わりがお前の命日だ。

何もすることがないので、ごろごろごろーっと転がりまわる。
しばらくの間そうして転がっていると、目の前に音もなくひとの脚が出現する。

「何をやってるんだきみは」

脚がたずねてきた。いや、当然脚がしゃべってきたわけではない。
脚の上には体があり、腕があり、細長い体躯の天辺にはしょぼくれた顔が乗っかっている。

(´・ω・`)「何をやってるんだきみは」

男はもう一度きいてきた。子供を叱る前の教師のように張り詰めた声で。
ぼくは寝っ転がった体制から、座りなおす。

( ^ω^)「ひまだったので」

男はあきれたような顔をして、ぼくの前で正座する。ぼくもつられて正座する。

(´・ω・`)「きみは、もっと有意義に時間を使うとか、そういったことを考えないのかい?」
( ^ω^)「はぁ……」
(´・ω・`)「こんなふうにひまを持て余して、きみにはやりたいことや、やるべきことはないのか」

空気の漏れたような返事をくりかえす。彼はいつものように“正しいこと”をぼくに押し付けて、説教する。
彼の言うことはいつも正しい。ぼくだってそれくらい理解している。けれど、ぼくにだって思うところはある。

( ^ω^)「……でも、ショボンさん」



10 : ◆y7/jBFQ5SY :2006/12/14(木) 19:03:36.17 ID:jpnEBPOY0O
  

(´・ω・`)「なんだい?」
( ^ω^)「ぼくが、ぼくらが、なにかをやることに意味があるんですかお?」

ショボンさんが顔をしかめる。構わずにぼくは続ける。

( ^ω^)「そもそも、ぼくたちには何ができるかも限られてますお。物にも者にも触れることはできない。
     声は届かない。会話ができない。においをかぐこともできない。できるのは眺めることだけ。
     いつ終わるかもわからないのに、ただ見ているだけ。ショボンさん、ぼくたちは何のためにいるんですかお?
     ショボンさん、ねぇショボンさん。ぼくは、いつ終われるんですかお?」

胸のもやもやを吐き出している間、ショボンさんは黙ってぼくのことを見ていた。
その顔は、軽蔑しているような、同情しているような、どちらにしろプラスの感情は読み取れなかった。
ただ一言「きみは悲しいな」と言っただけで、また黙り込んでしまった。セミがけたたましくわらっている。

沈黙をやぶるように、ショボンさんが今までより数トーン明るく話しかけてくる。

(´・ω・`)「ここも、そろそろ取り壊しになるらしいね。愛着もあったみたいだし、残念だね」
( ^ω^)「そりゃ残念ですけど、しかたないですお。こんな壁も天井も剥ぎ取られた、
     時代遅れの木造二階建ての物件、今まで放置してたのが不思議なくらいですお」

言いながら、地面を撫でる。ところどころ腐り、もはやひと一人の重さにすら耐えられそうにない。
住人はもとより、家具からなにからすべて取り払われ、ひとが住んでいた気配すら消えている。
しかし、家のないぼくにとっては都合がよかった。取り壊しになるのは正直残念だ。

(´・ω・`)「それで、これからどうするんだい?」
( ^ω^)「どう、とは?」
(´・ω・`)「いや、行く当てはあるのかって。雨露をしのげなくなるのは困るだろう」
( ^ω^)「……別にありませんけど、そこらを転々とご厄介になりますお。
     案外テレビとかあって、ここより快適かもしれませんお」



11 : ◆y7/jBFQ5SY :2006/12/14(木) 19:05:37.72 ID:jpnEBPOY0O
  

ショボンさんの顔がくもる。何か言われる前に、弁解がましく言葉を続ける。

(;^ω^)「取り壊すって言ったってすぐにするわけじゃないでしょうし、
     その間にどこかいい所を見つけますお、きっと。
     そんなことより、何か用事があってきたんじゃないんですかお?
     いつもみたいに、おもしろいネタでも見つけてきたんですかお?」
(´・ω・`)「答えはどちらもノーさ。この近くで用事があってね、ついでにきみの所に寄っただけだよ」

ショボンさんはまだ何か言いたげだったが、ぼくは「それは残念」とだけ言い、不穏な会話の流れを断ち切る。
これ以上説教されるのは勘弁である。だが、残念な気持ちがないわけではない。

ショボンさんにはじめて会ったときのことを、ぼくは覚えていない。
いつの間にか交友を持ち、ことあるごとにお小言を受ける。ありがたくもわずらわしいひとだと思っている。

いつからかショボンさんは、“おもしろいネタ”を持ってきてくれるようになった。
内容はいつも様々だが、大体はどこかで起きているイベントや事件についてだった。
若い芸人の漫才や地方公園のサーカスのように商業的なものから、
血気盛んな若者の喧嘩シーン、泥棒と警察のおおとりものといった日常の延長線上にあるような事件まで。

「楽しいことを知らないから、きみはいつも覇気がないんだよ」そう言って、ぼくを連れまわした。
実際、イベントや事件を見ている間ぼくの心はうきうきと沸き立ち、灰色のときの中でそこだけ色が付いたかのようにきらめいた。
ぼくらのように眺めることしか出来ないものにとって、日常の中で唯一の“楽しい”時間であることは疑いようがない。
ショボンさまさまと言っても足りないくらい感謝している。説教好きなのがたまに傷だが。

(´・ω・`)「……それじゃあ、僕はそろそろ行かせてもらうよ」
( ^ω^)「もうですかお?」

背中をぱたぱたとはたきながら、立ち上がる。キリンの首のように細長い体躯が、目の前でぐいんと伸びる。

(´・ω・`)「まだやることが残っていてね。それと、あんまりごろごろしてるんじゃないよ。少しは外に出なさい」



12 : ◆y7/jBFQ5SY :2006/12/14(木) 19:07:37.09 ID:jpnEBPOY0O
  

耳に痛い御高説を残して、ショボンさんは出て行った。
いつものことながら忙しいひとだなぁ、と思う。いったい何をやっているのだろうか。

考えても埒のないことを頭から弾き出し、一階へと降りる。
たしかに、このまま何もしないでいるのは暇だ。少し出歩いてみることにする。
特に目的があるわけではないので、気の向くままにぶらぶらしてみよう。

外に出ると、コンクリート上のゆらめきはいっそう強く。
暴力的な日光は目がかすむほどに鋭く、すべてのものを焼こうとする意思さえ感じられた。

歩いていくうちに色々なものを見る。
汗を拭き拭き何かに追われるように早足なサラリーマンふうの男。
すごい音を立てながらドリルで地面に穴を開けている男。どうやら工事をしているらしい。
何人かの女たちが買い物かごを腕にぶら下げ談笑している。
庭先に放置され、時折通る車の音以外には一切反応せず、死んだように動かぬ犬。

あわただしく動くもの、一心不乱に働くもの、その場で停滞するもの。
彼らはみな、生きている。生き続け、いずれ最後のときをむかえる。
彼らは生きるということをどう考えているのだろう。
このままの“今”を続けていくことに、不安はないのだろうか。

それでも、彼らはしあわせだ。世界に、自分が生きていた証を残すことができる。
傷つき、絶望し、悲しみにうちひしがれても、死ぬ、その権利がある。
ここにいること、そのことに意味を見出すことができるのだ。

ぼくにはそれがない。

喜ぶこと。悲しむこと。何をするにしても、何をしないにしても、そこには意味がない。
終わりがあるからこそ、生きることに意味が生まれるのだ。
終わりがないこと、それは永遠の命を得ることではなく、永遠の死をむかえることだった――。



13 : ◆y7/jBFQ5SY :2006/12/14(木) 19:09:36.30 ID:jpnEBPOY0O
  

ぼんやり人生哲学に耽っていると、いつのまにか見覚えのない景色の中へと紛れ込んでいた。
頭をふりふり、思考を現実へと戻す。

灰色のコンクリートブロックと、地面に引かれた白線。剥がれかけた“止まれ”の文字。
どこまでも同じような道と、古ぼけた家が並んでいる。
その脇に、周りの雰囲気にそぐわない、茶塗りの背の高いマンションが悠然と建っている。

マンションへ近づき、天辺を見上げる。窓ガラスに反射された光が強烈で、直視できなかった。
透明で堅固な自動ドア。その横に数字の一から九が並んでいるパネルがある。頭上には監視カメラだ。
それらを一切無視し、中へと入り込む。入り口のドアが眼前から体の内、後方へとすり抜けていく。

小さく小奇麗なエントランス。目の前にはエレベーター。左手に階段、右手に長い通路がのびている。
通路にはいくつかドアがあり、その一つ一つに区切った箱のような、家とも部屋ともつかないものがあるのだろう。
ひとの住処というより、ひとを住み分けさせるための場所。そんな感じがしてくる。

四、五階適当に登る。一回と同じように通路がのび、同じようにドアがある。
どれもこれも同じものに見えたが、一軒だけ鉢植えと、プラスチックの細長い棒にからみついているアサガオを置いている家があった。
特に何も考えず、その家の中へと入ってみる。マンションの入り口のときのように、ドアが前から後ろへとすり抜ける。

( ^ω^)「おじゃましますおー」

挨拶をし、玄関からフローリングの床へ上がる前に、儀礼的に足の裏をぱっぱとはらう。
重量感のある冷蔵庫に綺麗な台所。木製のテーブルと、それに隣接するように配置されている三つの椅子。
その椅子の一つの下に、漫画雑誌が二冊積み上げられている。子供が足をぷらぷらさせないようにするためだろうか。
どうやらここは居間らしい。生活している人間のにおいのようなものが感じられる。

開けっ放しの隣の部屋には、取り込んだまま放り投げているといったふうな洗濯物の山。
壁には、ぐちゃぐちゃに描かれた落書きが、滑稽なほどに調和した立派な額縁におさめられている。
絵の下部には『おとうさんとおかあさんとゆうき』と、読みずらい赤色で書かれていた。
部屋の支柱に横線で傷が入っており、その横には『ゆうき 6さい』『ゆうき 7さい』といくつか彫ってある。



14 : ◆y7/jBFQ5SY :2006/12/14(木) 19:11:36.08 ID:jpnEBPOY0O
  

( ^ω^)「……お」

支柱の傷を指でなぞる。少しだけ、懐かしい気がした。

奥の部屋へ入ると、カーテンは閉め切っており、電気もつけず、光源はテレビのみ。
そんな中で、あぐらをかいた女がせんべいをバリボリ、部屋の一点を凝視していた。
少しやせぎみだが、長い髪を後ろに束ね、目鼻立ちのくっきりした、美人といってもさしつかえのない女だった。

( ^ω^)「どうも、おじゃましてますお」

女は当然返事をしなかったが、ぼくは気にせず隣にあぐらをかいた。女が見ているテレビをぼくも見てみる。
そこでは、ここと同じように薄暗いスタジオが映っており、身の凍りそうな音を絶えず流している。
その中心に、口ひげをたくわえた、ちょっと濃いぃ顔の男が座っており、語りかけるように声をひびかせている。

『そこで僕ね、ちょっとマズイなって思ったんですよ。あっ、この人まだこの世に未練を残してるなって』

朗々としゃべる独特な語り口調にすっかり飲まれ、ぼくと女は亀のように首をのばして画面に釘付けになる。

『死んだときに強い思いを残していると、成仏できずに、磁石みたいにね、強く引っ張られて現世に留まってしまんですよ。
 そういう強い思いを残すのは、大抵恨みや妬みなんかの暗い感情なんだよね。会うとわかるんですよ、これは。
 彼は会った瞬間にすぐわかった。触れてもいないのに、すごく冷たいの。で、マズイなーとは思ったんだけど僕ね……』

女の唾液を飲み込む音が聞こえる。せんべいは手に持っているだけで、口に運ぼうとする気配もみられない。
息をすることすらはばかられる緊張が部屋を満たす。
男はなおも続ける。話は冒頭部から、薄皮を剥いでいくように少しずつ、少しずつ核心へとシフトしていく。

ぼくは今すぐ逃げ出したくなるような恐怖心と、話の続きが気になる好奇心の狭間をふよふよ漂い、動くに動けなかった。
なにより、男の醸し出すオーラに引き寄せられ、その場から離れることができなかった。
男の語りがいったん止まり、画面の右手からローラーのついたボードが運ばれてくる。
その中心には引き伸ばされた写真があり、そこに写っていたものは――。



15 : ◆y7/jBFQ5SY :2006/12/14(木) 19:13:36.24 ID:jpnEBPOY0O
  

「うわぁっ!?」
(;゚ω゚)「むきょお!?」

からからからり。

画面の中が驚愕の悲鳴でざわめく。男は一拍間を取り、冷めたような、おどすような声で言葉を発しはじめる。
背筋にぞっとしたものが走る。女も同様らしく、両腕で自分の体を包んで身震いしている。

「こ、こえ〜」
(;゚ω゚)「こ、こえ〜」

からからっと、床に落ちたせんべいが回る。その運動は次第に弱まり、ついには音をたてなくなる。
色の塗られた部分が欠け、中身の白い部分が見えた。

『それにつけてもおやつはカ・ア・ル!』

画面内の暗い照明から一転、ほんわかした音楽と共に、
デフォルメ化された口ひげをたくわえたおじさんとかえるが、スキップしながら登場する。
おじさんはC字型の黄色い物体を口に含め、さぞおいしそうといった具合に笑顔を浮かべる。
ここまで見て、「ああ、これはコマーシャルか」と気づく。

「たっだいまーっ!」

しばらく呆けたようにテレビ画面を見ていると、
玄関のほうから威勢のいい声と“バッタ――――ン!”とマンションごと揺らすような、玄関ドアを閉める振動音が伝わってきた。
そのままドタンバタンとあわただしい音が聞こえ、ドアを破壊するようにしてぼくと女のいる部屋へと入り込んでくる。

( ^ω^)「あ、どうもおじゃまし」
「おかーさんアサガオに水あげたーっ!? ってなにここ真っ暗じゃんっ! 暗いところでテレビ見たら目悪くするっていってたじゃんっ!
 それより、これからさっちゃんと出かけるから服用意してふくーっ! あーそれにしても熱いよきょーあぢーっ!!」



18 : ◆y7/jBFQ5SY :2006/12/14(木) 19:15:35.56 ID:jpnEBPOY0O
  

息継ぎなどしていないかのようにしゃべりまくる少女に対し、女は片手をひらひらとするだけだった。
少女の容貌は女に似てくっきりとした綺麗な顔立ちをしていたが、短く刈られた髪型や、
この年代の少年少女に特有な性差のなさも手伝って、女性を感じさせることはなかった。だが――。

( ゚ω゚)「……! 失礼!」

急いで視線を逸らす。子供とはいえ女は女。裸体をしげしげと眺めるのはイケナイだろう。
少女はあぢーあぢー言いながら、服をポンポンと、下手糞なストリッパーのように投げ捨てていった。
女はもう慣れっこなのか、注意することもなくテレビを見ている。

服を脱ぎながらうるさくしゃべっていた少女だが、急に黙り込み、ピタリと動きを止める。……服は脱いだままで。

「……おかあさん、この部屋、クーラー利きすぎじゃない? なんか、寒いよ」
「ん〜? そんなはずないわよ。クーラーなんかつけてないし」

脇目で覗くと、少女は裸のまま、先程女がしたように自分の体を自分で包み、身震いする。
そうして、さっきまでとは打って変わって、吐き出すように言葉をつむぐ。

「ヤだ、なんか、すごい、寒い。ヤだ、なんか……“きもちわるい”」

体の芯を、抉られたような、気がした。
お前は、ここにいるな、そう、言われた気がした。

「あっはっはっ! さっきまで淳二の番組見てたしねぇ。そこらにいるんじゃないの? お・ば・け・が〜! あっはっはっ!」
「やめてよっ! ほんときもちわるいって言うか、きみわるいって言うか……なんか、イヤな感じがするんだからぁっ」
「ゆーちゃんのこと気に入って、とり憑いちゃったのかもね〜? ヒヒヒ」

女はなおも少女をからかっていたが、その声はぼくの耳に届くことはなかった。先程まで感じていた仲間意識のようなものが消し飛ぶ。
目を伏せ、家から出て行く。悲しみよりも、怒りよりも、虚無感がぼくを支配していた、ぼくは切に、切に願う。はやく、はやく……。
終わらせてくれ、と――。



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