( ^ω^)ブーンはかえってくるようです

90 : ◆y7/jBFQ5SY :2006/12/14(木) 21:13:47.33 ID:jpnEBPOY0O
  

          ―― 八 ――



白色の外壁。自然を感じさない緑たち。日常から離れた光景。要塞のようにそびえ立つ、病院。
中に入れば、一流ホテルかと見まがうばかりに磨かれた床、受付、広いエントランスホール。
きれいで、清潔だが、どこかよそよそしさを感じる空間。だが、今ここに、しぃがいるのだ。

しぃは一日前から入院していた。よくはわからないが、感染を防ぐために抗生物質を投与するだとかなんとか。
そのたまに点滴をしたり、他にも色々と準備をしているようだった。

ぼくは医術のことはさっぱりわからない。だから、医学的に力になることができない。
それが、こんなにも悔しく感じることだとは思わなかった。もっと勉強していればとさえ、考えるしまつだった。

しぃの担当医の先生は、髭を立派に蓄え、その中に白いものが混じりはじめている、熊のような先生だった。
熊のように豪快な体に似合わず、のんびりとした口調でわかりやすく説明するその先生の姿は、
ぼくのイメージの中の医者とは違って随分と親身に感じられ、このひとなら信頼できる、安心して任せられる。そう、思った。

しぃは、やはり緊張しているようで、青ざめた顔をしていた。いつもの微笑も浮かべてはいなかった。
先生と母親が安心させるようなことを言うと、薄くにこりとわらうが、それは言葉を発する気力がないだけに見える。
だから、ぼくは少しだけ冒険にでた。

( ^ω^)「しぃ、しぃ」
(*゚ー゚)「……!」
( ^ω^)「いい、いい。答えなくていいお。しぃ、大丈夫だお。ぼくが憑いてるから。
     きっと……、ううん。絶対大丈夫だお。目が見えるようになったら、一緒に花火を見に行こうお」
(*゚ー゚)「……うん」

小さな返答が聞こえ、母親と先生は安心した表情を見せる。ぼくも、安心したような顔をしていたと思う。
しぃが、なぜぼくがここにいるのか疑問に思うかもしれないが、そんなこと、気にしてはいられなかった。



91 : ◆y7/jBFQ5SY :2006/12/14(木) 21:15:48.01 ID:jpnEBPOY0O
  

しぃは青色の、小学生が着るような白衣みたいな服を着せられ、寝台に上げられる。
その上にバサバサと厚みのあるシーツのようなものを乗せられ、露出する部分は目だけとなる。それも、片目だけ。
今回は、右目だけ手術するらしかった。こういうものは一辺にやると危険だとかなんとか、先生が言っていた。

先生も青色の、術衣というものに着替える。豊穣な髭が、マスクの中にごっそりと収まる。
先程までののんびりした顔から一変、とても鋭い、睨んだだけでひとを殺せてしまえそうな眼つきになる。
ゴム製の手袋を着け、両手をどこにも触れさせないようにしている姿は、どこか観音様を思わせる。

局部での手術だからか、思っていたより人数は少なかった。先生と、他に同じ格好をしたひとがふたり。
こんな所で経費を削減しているのではなかろうかと勘ぐったが、さすがにそれはないだろう、と思う。

なんだか大仰な機械が下りくる。顕微鏡の親分みたいな機械だ。それの先が、しぃの瞳の手前で止まる。
先生の目の前にもそれの一部分が来て、いよいよ持って、顕微鏡らしいと感じる。

ぼくにはなにをやっているかはわからなかったが、今まで準備を手伝っていたらしい青い格好のひとが、何かを読み上げる。
話しているのは日本語のようだが、マスクに遮られた声は聞こえづらく、機械のようにしゃべるので、意味もわからない。
それを聞いていた先生が、室内イッパイに聞こえるよう、声を上げる。これが開始の合図だったようで、手術は、開始された。

手術はたんたんと行われた。必要最低限のことしかしゃべらず、それも限りなく少ない。
先生は薄い刃物、テレビで見たメスなんかよりよほど小さく、鋭そうで、危なそうな刃物を、しぃの眼球にあてている。
正直、見ていられなかった。得体の知れない、ゾクリとした感覚がぼくを包む。目の上に、刃物が置かれる錯覚を覚える。
しかし、目は逸らさなかった。ぼくが感じた錯覚を、今、しぃは実際に受けているのだ。ぼくが見ないわけには、いかない。

これがうまくいっているのかどうかは、ぼくにはわからない。それがまた、ぼくのこころを押しつぶす要因になる。
心配になる。弱いこころへ流れそうになる。けれど、懸命に振り払う。応援するものが、不安に押しつぶされてはいけない。
本当につらいのは、しぃ。しぃなのだから。だから、ぼくがつぶれちゃいけない。ぼくは、成功だけを信じなければいけない。
できることは少ない。いや、ないにひとしい。それでも、何かをしなければと思い、ぼくは、祈る。ガンバレ、ガンバレ、と。

先生が合図をし、しぃが移送される。顕微鏡の親分も片付けられ、手術が終わったことをしる。
手術が終わっても、ぼくはまだ、祈ることをやめれなかった。ガンバレ、ガンバレ……、ガンバレ!



92 : ◆y7/jBFQ5SY :2006/12/14(木) 21:17:47.81 ID:jpnEBPOY0O
  

胸が潰れるような思いをしたその翌日。検査のために、しぃに着けられた眼帯が外される。
眼帯を外されたしぃは、口をぽかんと開けて、何が起こっているかわかっていないようだった。
髭の先生がのんびりとした口調で質問するが、すべて曖昧な返事を返す。しかし、髭の先生は満足そうな顔で頷く。

「まだまだこれからも検査していかないといけませんが、大丈夫。見えてますよ」

先生の言葉を聞いて、母親が泣きながらしぃに抱きつく。「刺激を与えちゃいけませんよ」と母親をなだめるが、先生もうれしそうだ。
しぃだけが無表情にぽかんとしたまま、目を動かさず、頭を動かして辺りを見ている。
それは、どこか手探りな感じで、生まれたばかりの動物が世界を確かめようとしているのに似ている気がした。

先生は、今の経過と、これからについていろいろと説明していった。
光は感じられるようになったが、まだ日常生活で耐えうる視力ではないこと。今のところ、痛みや拒否反応はでていないこと。
日常の中でしていいことや、してはいけないこと。就寝時はメタルシールドというものを付けなければいけないこと。

それからも先生は、どのようなペースで検査をしなければいけないとか、リハビリにはこうこうこういうやり方が、と説明していた。
だが、ぼくはほとんど聞き流していた。それよりも、しぃの行動の方が気になった。
しぃは、先程からずっと同じ表情のまま辺りを見回している。それ自体は不思議なことではない。
見えたことに意識がいって、他のことが耳に入らなくなってもおかしくはない。夢の中にいる気分なのではないかとも、思う。

けれども、しぃの見方には、もっと、明確な意志が見え隠れしているように見える。
闇雲に世界を探るのではなく、大切なひとつのものを探し出しているような……。そして、どうやらそれは――。

(*゚ー゚)「……ブーンは?」

ああ、ぼくはこんなにも思われていたのか。そう思う気持ちとは裏腹に、やはり、と、納得せざるを得ない自分がいる。
ぼくは今、しぃの目の前にいる。しぃにはぼくが見えない。そして、ぼくはすでに「ここだよ」と、声を上げていた。

母親が困ったような顔をしたが、それでも、しぃは繰り返した。

(*゚ー゚)「……ブーン、どこ?」



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