川 ゚ -゚)クーはやっと人を好きになったようです

4: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/08/29(金) 22:30:21.04 ID:5jVIRqkO0

 さよなら、かわいい夢。


 大きな両開きドアの玄関を出て、私は埃っぽい夏の庭を歩いた。

 森みたいに静かな庭には、空高くそびえる木に緑の葉が茂り、
 その梢には、桃色や白の花を、鈴なりにたくさん、たくさんつけている。

 ピンク色をした花を、私は一つ摘んだ。
 そして、生垣に囲まれた歩道を、村に向かうほうへと歩いていった。





   川 ゚ -゚)クーはやっと人を好きになったようです



6: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/08/29(金) 22:35:07.44 ID:5jVIRqkO0

 南部の九月はまだまだ暑い。
 眼下に広がるどこまでも青い海は、
 その上に広がるどこまでも青い空を映して、色を作っている。

 この海辺の田舎道には行き交う人もまれで、
 時折、涼しげな木陰に憩う季節労働者が、頭に載せた帽子をちょっと持ち上げて、私に挨拶をする。

 こんな具合に。

( ^ω^)「あっ、ロマネスク家のお嬢様、こんにちはでごぜえますだお」


 お嬢様、か。

 いつだってそうだ。
 私は、私じゃない。『ロマネスク家のお嬢様』なんだ。



7: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/08/29(金) 22:37:16.94 ID:5jVIRqkO0

 返事をせずにすたすたと通り過ぎる私を、男は気にするそぶりもない。
 高貴な身分の者は、下々の者にいちいち挨拶を返さないことくらい、南部では常識だ。

 通り過ぎざま、私は、男のほうをちらりとだけ見た。

 男は鍔の広いソンブレロをぱたぱたとあおいで、
 真昼の暑気を、自分のシャツの内側から追い出そうと頑張っている。
 そばを通り過ぎる私など、まるで存在していないかのような振る舞い。

 その態度を見て、私は腹が立った。


川 ゚ -゚)「…おい」

 私は声を出して、男に呼びかけてみた。
 が、男は自分を扇ぐのに忙しく、返事はなかった。



8: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/08/29(金) 22:39:13.22 ID:5jVIRqkO0

川 ゚ -゚)「おい」

 もう一度、強い調子で呼びかけた。
 男はようやく、はっとした様子で私のほうに振り向いた。

( ^ω^)「何でごぜえますかお? ロマネスク家のお嬢様…」

川 ゚ -゚)「私の名前を言ってみろ」

( ^ω^)「……? ロマネスク様、ですかお?」

川 ゚ -゚)「な・ま・え、だ」

( ^ω^)「あ、それは…。
      えーとたしか…ああそうそう! クー! クーお嬢様だお!」

川 ゚ -゚)「…ふん」

 私は、ぷい、と男から顔をそむけると、そのまますたすたと元の道を歩き始めた。
 男はしばらくのあいだ、帽子を両手で捧げ持ってじっとしていたが、
 やがて元の木陰に戻って、ふたたび腰を下ろしたようだ。



10: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/08/29(金) 22:43:00.51 ID:5jVIRqkO0

 ロマネスク。それは父の名前。
 でも、私が父と似ているのは黒髪くらい。

 褐色の肌を持つ私が、どうして白人夫婦の間から生まれ出るのか。
 そのことについては、私の周りでは、誰も、何も言わなかった。

 肌が白いのはスペイン人。
 褐色なのは先住民。
 真っ黒なのは黒人奴隷。
 そんなのは、ここに生きる者なら赤ん坊だって知っていることだ。

 どうして、村のみんなは、褐色の肌を持つ私のことを、ロマネスク家のお嬢様なんて言うんだろう。
 白人と白人がセックスしたら、白人の子供しか生まれないはずなのに。
 父だって、執事だって、屋敷の使用人たちだって、
 どうして、私のことを本当の子のように扱うんだろう。

 …私を正しく扱ってくれるのは、「母」だけだ。
 ちゃんと、私を邪険にしてくれるのは。



12: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/08/29(金) 22:45:16.76 ID:5jVIRqkO0

 しばらく歩いて、数軒の建物が集まった村の広場に着いた。

 けだるい夏の正午。
 光だけが強く明るく、建物の石壁にとりついた蔦を照らしている。

 ペンキがずいぶん剥げかかったドアを開けて、
 私は一軒の酒場に入る。

 マスターは入ってきた私の姿を見て、グラスを磨いていた手を止め、言った。

(´・ω・`)「いらっしゃいませ、ロマネスク家のお嬢様」

 私はひとつため息をつくと、カウンターに歩み寄り、言った。

川 ゚ -゚)「クーだ。私の名前は」

(´・ω・`)「…ええ、存じておりますとも、お嬢様」



13: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/08/29(金) 22:47:22.92 ID:5jVIRqkO0

(´・ω・`)「お飲み物はジュレップですか? お嬢様」

 カウンターの下から砂糖壷と緑色のミントの束を取り出しながら、マスターは言った。

川 ゚ -゚)「どうして、ジュレップと決め付ける?」

(´・ω・`)「…は?」

 色鮮やかなミントをまな板の上に置いて、マスターは不思議そうに顔を上げ、私を見た。

川 ゚ -゚)「私が女だからジュレップを薦めたのか?
     女は苦い酒など飲まず、みんな甘いジュレップを飲むものだと思っているのか?」

(´・ω・`)「は、いや、そんな」

 マスターの両の眉が下がり、困惑が顔中に広がっていく。



14: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/08/29(金) 22:49:57.53 ID:5jVIRqkO0

(´・ω・`)「めっそうも、難しいことはどうも…。
      ただ、夏の昼間の暑気払いには、ミント・ジュレップが適役かと思いまして、
      へえ、それだけで…」

 しょんぼりとした顔で、しどろもどろの弁解を繰り返すマスター。

川 ゚ -゚)「いいさ、忘れてくれ。
     私には…そうだな、ダイキリをくれ」

(´・ω・`)「…かしこまりました」

 マスターはミントの束と砂糖壷を元の場所に戻し、かわりにラムの壜をバック・バーから下ろした。
 乾いた熱風が、入り口ドアの上下の空間から吹き込んできた。


 女は甘いものが好き。
 みんながみんな、頭からそう信じている。それ以外のことには考えも及ばない。
 常識に囚われた村人。



17: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/08/29(金) 22:53:56.81 ID:5jVIRqkO0

 常識。因習。
 この南部では、みんなが見えない束縛に縛られて生きている。

 黴の生えた過去の因習を寸分たがわず再現してみせる者がもてはやされ、
 かたや、現実と未来を見通し変革の流れを読むことのできる者は、秩序を乱す者として排斥される。


 因習。
 そう、例えば…

 女はつつましく、しとやかに。
 男に奉仕し、いつまでも夫の帰りをじっと家で待ち、家を守る。
 それが、女の幸せである。

 そう、いつも私に言って聞かせていた、「母」。

川 ゚ -゚)(そんな母の目には、私生児でしかも混血である私のことは、どんなふうに写っていたのだろうな)


 マスターがシェイカーを止めた。
 私の前に差し出されたグラスに、涼しげな氷の音をさせながら、ダイキリを注ぐ。

 私はグラスの足を持ち、満たされた液体を一息に喉に流し込む。
 鮮烈なラム酒の香りと、甘い柑橘の匂いが、鼻腔の奥に広がった。



18: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/08/29(金) 22:57:34.57 ID:5jVIRqkO0

(´・ω・`)「ほう」

 私の飲み方を見たマスターが、一声、うなった。

(´・ω・`)「…先ほどは失礼しました、お嬢様。甘ったるいジュレップはお嫌いでしたか」

川 ゚ -゚)「いや、そんなことはないぞ。ジュレップは好きだ」

(´・ω・`)「はあ…」

 要領を得ない、という顔で、マスターはあいまいな返事をした。

 それはそうだろう。

 私が嫌いなのは、ジュレップじゃない。
 それを作っていた父なんだから。



19: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/08/29(金) 23:00:00.58 ID:5jVIRqkO0

( ФωФ)「さて諸君、ここがこのジュレップ造りの最大のヤマ場なのですが」

 父の声が、頭によみがえる。
 もう何千回と同じ台詞を聞いただろうか。

 父は、来客があるたびにこのジュレップ・カクテルを客の前で造り、提供していた。
 軍人らしい髭を口元にたくわえながらも、清涼酒を調合するときの父は、芸術家の手つきだった。

 何千回と作りながらも、父は、その手順を変えるようなことは絶対にしなかった。
 ミントを砕く手つき、ウィスキーを計るときの容器の配置、添え物の果物を置くときの角度。
 何千回と、間に挟む台詞までをも、完璧に同じものに仕立て上げていた。

 そういうことの好きな人間だった。
 父は、完璧さという名のもと、
 ただの停滞にしかすぎない因習に「伝統」という美称を着せて、盲目的に従う人間だった。

 ミントの葉にバースプーンを当てて、すりつぶす動作をしながら、
 父が大げさな節回しで、居並ぶ客を前に講釈をしている。

( ФωФ)「これ、これとおり。
       このときに一グレインの千分の一でもミントを押しすぎると、諸君、
       この天与の植物の有する芳香の代わりに、苦味が出ますのじゃ」

 うんざりするほど聞かされた、父の台詞。

 因習に則った父の言葉は、たいていいつも正しいことを言っていて、だから私は、いらいらさせられる。



21: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/08/29(金) 23:03:47.26 ID:5jVIRqkO0

 あの謹厳実直な白人の父の娘として、なぜ褐色の肌の私がいるんだろう?


 その件については、触れるものはいなかった。
 屋敷の誰も、それどころか近くの村の誰も、その疑問はいっさい口にしたことはなかった。

 …たった一度、たった一人だけを除いて。

川 ゚ -゚)(あれは、いつのことだったかな…)


('A`)「あれー?
   クーさん、白人なの? 混血じゃなかったの? 俺はてっきり混血だと思って…」

 ドクオという名のこの青年は、普段から場の空気を読まずに、とんでもない発言を繰り返す人物だった。

 たしかこの時も、この発言の直後にドクオは、一緒にいた彼の親に殴り飛ばされていた。
 それから、ドクオの父親はぺこぺこと私に平身低頭しながら、気絶したドクオを引きずって立ち去っていったんだった。



22: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/08/29(金) 23:06:21.21 ID:5jVIRqkO0

 私の父は軍人だった。
 国を、民を。そして、共和国の理想を護るために。
 父はいつも家をあけて、各地を飛び回り、戦っていた。

 だから、父は、私を護ってはくれなかった。

 父のいないロマネスク家の広大な屋敷には「母」と私が残された。
 使用人たちと執事は、いついかなる時でも、「母」と私の無言の争いの中で、駒のように動いた。

 幼い私は、そんな殺伐とした生活に耐えられず、父に救いを求めた。
 寄りかかれば、助けてくれる。
 そう思って、そう信じて。

 私はよく、出征する直前の父の広い胸に身を預けて、
 玄関で泣き喚きながら、父の留守中の「母」の仕打ちを訴えたものだった。


 その涙がムダなものだったと、ようやくわかったのは、思春期の頃だった。


 いつしか私は、出征する父を、玄関で泣き喚くのではなく、
 「お国のために、いってらっしゃいませ」と型どおりの挨拶で、戦地に見送れるようになっていた。

 つまり、私は大人になったのだ。



24: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/08/29(金) 23:09:14.19 ID:5jVIRqkO0

 大人。
 それはすなわち、身を預ける相手が、父ではなくなったということだ。

 風に流れるさらりとしたストレートの黒髪と、褐色の肌に、エキゾチックな瞳を持った冷たい美貌。
 私の容貌のことを、かつてそう表現した男がいる。

 つまり、私は男をひきつける魅力を持つ、美人だったらしい。


 恋人なんて、いつだって向こうからやってきた。
 誰かの肩に触れること、誰かの体温を感じていることが、私に生命というものを実感させてくれた。

 酒場に行けば、いつでもどこの酒場でも、私に言い寄ってくる男はいた。



26: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/08/29(金) 23:13:36.38 ID:5jVIRqkO0

 寄ってくる男達は、みんな似たようなものだった。
 流行の服に身を固め、高い鼻に整った顔立ちをして、家柄もよく、行動や会話にもそつがない。

 つまり、酒場で初対面の女に声を掛けるような男は、自分に自信を持っている男ばかりだったのだ。


 そんな男達との新しい恋が始まると、私はきまって、幸福のあまり、そっと自分の目を閉じる。

 そうやって、
 ああ、今は幸せな恋愛をしているのだから、どうか、私の人生から嫌なものが見えなくなりますように。
 と祈った。


 そう、祈ったのに。


 それなのに、私が目を閉じたときは、いつも。
 いつも、とある一人の人間の姿が、瞼の裏っかわの、真っ黒なところに浮かんでくる。

 …それは、誰かに寄りかからないと生きていくことすらままならない私の、
 矮小でみじめな、真実の姿。



28: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/08/29(金) 23:16:16.31 ID:5jVIRqkO0

 だから、相手が誰であれ、私の恋は続いたことがない。
 続くはずもなかった。
 だって、それは依存なんだから。

 重い重い私の存在を、相手の肩にすべて預けてしまう行為なんだから。


「押しすぎると、芳香のかわりに苦味が出る――」

 くやしいけど、父の言葉はここでも正しかった。


 きれいな緑色をした恋の葉っぱを、私はいつもぎゅうぎゅうと、
 苦味が出ようとおかまいなしに、力いっぱい押してしまう。

 そうすると、男の人は重ったい私に辟易して、ゆっくりとさりげなく、距離をとろうとするのだ。

「僕なんかより、君にはもっとふさわしい人がいるよ」

 そんなふうに、韜晦してみせたりして。



29: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/08/29(金) 23:19:12.83 ID:5jVIRqkO0

 そんな男たちに、私はやっぱり、別れ話をした後には、泣いてすがりつくんだ。

 最後の瞬間までずっと棘のある言葉を投げつけて、ちくちく責め続けた相手なのに、
 いざ自分から離れていくとなると、どうしようもない寂寥感が、どっと私に押し寄せてくる。

 行かないで。
 私が悪かった。これから、悪いところを治すようにするから。だから、お願い。

 そう懇願すると、だいたいの男は、

「もう一度、二人でがんばってみようか」

 そう言って私のところに戻ってくる。
 ほっ、と一息。


 だけどやっぱり。

 だけどやっぱり、男の胸に自分の頭を預けていると、私はいじわるな気持ちになってくる。
 ちくちくと棘のある言葉を放って、なんとかして相手を傷つけようと頑張ってしまう。
 どうしてだか、わかんないけど。


 何度同じ事を繰り返せば、私の心は赦されるのだろう。

 「そうよ、私が悪いの。ごめんなさい。」
 そんな言い訳をしながら、いつもいつも、私はひどいことを繰り返すのだ。



30: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/08/29(金) 23:21:13.62 ID:5jVIRqkO0

 ドクオも、そんなふうに私と付き合った男達のなかの一人だ。
 いや…。
 そんな男達の一人のつもりだった、のか。


 ドクオは格好いい男ではなかった。
 ひょろりと背ばかりが高く、痩せすぎていた。

 村の女の子たちは、みんな影ではドクオのことを「貧弱な坊や」とバカにしている。
 なにしろ、体格が悪くて徴兵の試験に通らなかったのは、村の若者の中ではドクオ一人だけだったのだ。



31: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/08/29(金) 23:23:26.49 ID:5jVIRqkO0

 あれは、いつのことだったか。
 私のことを「混血」と言い放った、その次の日のことだった。

 顔じゅうをフットボールみたいに赤黒く腫らして、ドクオは私の前に姿を見せた。

((#)A`::)「昨日は、申し訳ありませんでした、お嬢様」

 私は鼻をひとつ鳴らし、この貧弱な青年の情けない顔を見た。
 青年は瞳を上に向け、謝罪の言葉をひとつひとつ思い出すようにして喋っている。
 いまだに、なぜ自分が謝る必要があるのか、よくわからないという表情をしていた。

川 ゚ -゚)「…そう謝ってこいって、誰かに言われたのか?」

((#)A`::)「あ、はあ、親父にそう命令されまして…。
     ロマネスク家の怒りを買ったら、このあたりじゃ生きていけねえんだ、って」

川 ゚ -゚)「親に言われて来たのか。
     つまり、お前自身は、自分の発言を悪かったとは思っていないのだな」

 私は笑った。
 実に、実に正直な答えだ。
 ここまで正直に物を言うほど、この青年はバカなのだ。



32: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/08/29(金) 23:25:30.17 ID:5jVIRqkO0

 笑っている私を見て、ドクオも愛想笑いのお追従を言い始めた。

((#)A`::)「あ、はは、あのー、私の話、面白かったですかね」

 その様子が面白くて、情けなくて、私はさらに笑った。
 そう。この青年は、私と同じくらい、情けなくて、みじめで、滑稽なのだ。


 だから私は、そのとき、青年を自分の部屋に引き止めた。
 そのときちょうど、「母」は気詰まりな屋敷を離れて旅行に出かけていて、いなかった。

 私は、情けないこの青年の胸に、私の頭を寄せてみたくなったんだ。
 体を預けるのじゃなくて、体を寄せていたくなったんだ。

 それは、すでに恋だったんだろう。



34: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/08/29(金) 23:27:13.17 ID:5jVIRqkO0

 村じゅうにたくさん用意してあった秘密の場所で、私とドクオはよく待ち合わせをした。
 海辺に出かけていって、用意したコーヒーとテキーラを飲みながら、私達はとりとめもない話をしたものだ。

('A`)「あっ、かもめ」

 みゃあみゃあ、と泣きながら、海鳥が私達の目の前の海で舞い踊っている。

川 ゚ -゚)「海猫だ、あれは」

('A`)「そうですか、ウミネコというかもめですか」

川 ゚ -゚)「海猫は鴎なのか?」

('A`)「さあ。かもめはかもめでしょう」

 そういって、ドクオはコーヒーを一口すする。
 私の顔なんか見もせずに。

 そんな男だったから、私は確信に近い気持ちで、信じていた。
 「この男は、私に何もしてこない」と。



35: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/08/29(金) 23:29:43.70 ID:5jVIRqkO0

 いままでの男は、言葉巧みに私に近づいてきては、
 私の精神性や美貌について、とにかく修辞的な言葉を連ねて礼賛したものだった。

 男達のそれらの言葉の目的を、私は当然、知っていた。

 言葉が止むと、彼らはやおらに、私の服を脱がしにかかる。
 「さあ、言葉の労力の報酬を、いまこそ取り返す時が来た」といわんばかりに、
 男達のその行為は切実で、性急だった。


 およそ男は、私が服を脱げば喜んだ。
 肌と肌が触れ合えば、その感触に歓喜し、
 私の褐色の裸を見た男達は、かならず満面ににやにやとした笑いを浮かべるのだ。

 そのときほど、私が生命と愛情を実感できる時間は、他にない。
 肌と肌が触れ合う瞬間だけは、私は、たしかに愛されている。



36: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/08/29(金) 23:31:41.63 ID:5jVIRqkO0

 だから、私がドクオに愛されていたかどうかは、実は自信が無い。


('A`)「結婚もしていないのに、肌を重ねるのは、いけないことです」

 テキーラの酔いが回った私が、白いワンピースの肩から腕を抜いたところで、ドクオはそう言った。
 怒ったような、拗ねたような顔だった。

 私はそんなドクオの顔を、まじまじと見返した。
 一瞬、何を言われたのかわからなかったからだ。

川 ゚ -゚)「…何だ、それは?」

('A`)「僕は、あなたを叱っているんです」

 子供のように口を尖らせて、ドクオはそう言った。



37: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/08/29(金) 23:34:13.21 ID:5jVIRqkO0

 それで、私はこいつと結婚しようと思った。

 ちょうど出征から帰ってきたばかりの父に、私はそのことを告げた。
 父は何もいわず、私が話している間じゅう、傷の入った目で私のことをじっと見つめていた。

 私の話をすべて聞き終えた父は、ぼそりと、私に問うた。

( ФωФ)「お前、年はいくつになった」

川 ゚ -゚)「…もうすぐ19です、父上」

( ФωФ)「そうか。少し早いが、たしかに、結婚の時期ではあるな。
       よしわかった。私が、ロマネスク家の家柄に相応しい相手を探しておいてやろう」

 父はそのまま私から顔をそむけ、書き物机に向かってしまった。
 父のしぐさは、話し合いの終了を意味する、我が家でのルールだった。

 話し合いの間じゅう、「母」は、まるでそこにいないかのように、にこにこした笑顔を崩さずに、
 一言も口をきくことはなく、添え物のように父の隣に座っていた。


 私は一礼して、父の部屋を出た。



38: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/08/29(金) 23:36:21.42 ID:5jVIRqkO0

 二週間ほどすると、父は、また戦地へと旅立っていった。
 玄関口では、私はいつものように、大げさな身振りの「お辞儀」をして、
 国のために戦う父をたたえ、送り出した。


 用心のため父の出立から三日の間を置いて、私はドクオの家へと手紙をことづけた。
 秘密の待ち合わせ場所のひとつを指定して、いつものように、逢瀬の時刻を告げた。

 その日、約束の刻限になっても、ドクオは待ち合わせ場所に現れなかった。
 私は、草原の中に座りつつ、日が傾くまでずっと彼の姿を待った。


 海猫ばかりが鳴いていた。


 その日、彼は、ついに現れなかった。
 空をすっかり小さな星が覆い尽くした頃、私はあきらめて秘密の草原を離れ、屋敷に帰った。



40: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/08/29(金) 23:38:17.79 ID:5jVIRqkO0

 その晩の、屋敷での夕食の席。
 たくさんのろうそくで飾られた、長い長いテーブルの端と端に腰掛けた、
 この家の主人である、私と「母」。

 「母」は、嫌味で長ったらしく、また高圧的な調子で、私に話題を振ってきた。

从'ー'从「ねえ、クーさん。もうお聞きになった?
     わが村の若者も、ついに全員が徴兵試験に合格したんですって!」

 ぴくり、と、私は身を震わせた。
 そんな私の反応を見て、「母」は、勝ち誇ったように声を大きくして、言った。

从'ー'从「ほら、あの一人だけ徴兵試験に落第してた、ドクオとかいう青年、いたでしょう。
     クーさんの父親にして私の大切な夫であるロマネスク将軍が、各方面に尽力してくださったおかげで、
     あの青年も、なんとか今回の戦いから、戦地に出させて頂けるようになったんですって!」



43: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/08/29(金) 23:40:27.86 ID:5jVIRqkO0

 ナイフとフォークを持ちながら、ぐるぐると私の世界が回った。
 瞳の裏には、いつか幼い頃に見たことがある、ほんものの戦争の光景が浮かんでいた。

 重そうなマスケット銃をかついで、長い長い横隊を組み、
 行進曲の笛とドラムの音に合わせて、足並みを揃え、一直線に前に歩いていく兵隊たち。

 それをむかえうつ、敵の大砲と銃列。
 敵の一斉射撃の前に、次々と倒れていく兵隊たち。

 いくら兵隊が倒れても、横隊は行進することを止めない。
 倒れても倒れても、味方の死体を乗り越えて、兵隊たちは行進する。
 その肩にかついでる銃剣で、敵の胸を貫き通すまで、兵隊たちはどこまでも、いつまでも行進していく。


从'ー'从「それもすごいのよ…ドクオさん、名誉ある一番列に採用されたんですって!
     一番列に配属された兵隊はまず生きては帰れないけど、
     そのかわり、その勇気と名誉だけは、人々の心の中に一生刻み込まれることになるのよ!」

 今にも笑い出しそうに、喜色を満面にたたえ、「母」はさらに私に向かって言葉を浴びせかけてくる。

 ぐるぐる、ぐるぐる。



46: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/08/29(金) 23:43:37.20 ID:5jVIRqkO0

(´・ω・`)「…さん、クーさん。お嬢様」

 ゆさゆさと、私の肩を揺さぶる手がある。


 はっとして、私は顔を上げた。
 どうやら酒場のカウンターで眠りこけていたようだ。

(´・ω・`)「いいんですか? もう当店に来られてから、五時間近くになりますよ?
     当店ではいくら居ていただいても良いのですが、なにかご予定でもおありなのでは?」


 ずきずきする頭を二、三度叩いて、私はカウンター席から立ち上がった。

川 ゚ -゚)「…いいさ。予定など、私にはない。
     が、店は出ることにするよ。いくらだ」


 マスターは、ちらりと私の前に置かれた酒瓶の残量を見て、
 いったい何杯ぶんの酒の代金になるのかわからないほどに高い金額を提示しながらも、

(´・ω・`)「でも、ロマネスク様のお屋敷にはお世話になってますからね」

 そういって、支払いは屋敷へのツケにしてくれた。



47: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/08/29(金) 23:45:55.99 ID:5jVIRqkO0

 覚束ない足取りで、私は酒場を出た。
 乾いた風が街路を吹きぬけた。

 まだまだ太陽は高く、外は明るかった。
 強烈に白い日差しが、村の建物の壁に照りつけている。


 私は村の道をゆっくりと歩いた。


 歩いているうちに、世界はまたぐるぐると回り始めて、自分の心臓の音がどくどくとせわしなく聞こえてきて、
 その音があまりにうるさかったから、私は両手で耳を塞いで歩いた。

 どこをどう歩いているのか、もう私にはわからなかった。
 ダイキリの杯数は、10を越えたあたりから覚えていない。


 風がそよぎ、高いところで椰子の葉がこすれる音がした。

 そういえば、足元がふわふわして、不確かなものになっている。

 私は立ち止まり、あたりを見渡した。



48: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/08/29(金) 23:48:13.99 ID:5jVIRqkO0

 太陽が西の空に輝いている。

 いちめんに光ってハレーションを起こしている、夏の白い砂浜。
 はるか高い位置にそよぐ椰子と、目の高さのやや上に輝く、桃色と白の花をつけたプルメリアの木。


 ざざーん…
 という音に振り返ってみれば、打ち寄せる波と、砕けた泡の白い波頭。

 そして、その向こうに広がる、どこまでも、どこまでも青い海と、どこまでも青い空。

 そう、ここは…


 二人の秘密の待ち合わせ場所のひとつ。
 村はずれの、プルメリアの咲く砂浜。



50: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/08/29(金) 23:50:15.11 ID:5jVIRqkO0

 めまいがした。
 砂の上に、両膝をついた。

 嘔吐感を覚えたけれど、必死に我慢して、こみ上がってきたものをなんとか飲み下す。

 こんなにきれいな場所なんだ。
 ほんのわずかでも、この場所を穢すことは、赦されない。
 そう思って。


川  - )「ドクオ」

 そう、呟いてみた。


 押しすぎると苦味が出る。

 それは、もしかして、寄りかかる重い私に耐え切れなかったってこと?
 重い重い、いろんな種類の、たくさんの荷を背負っている、私に…。



52: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/08/29(金) 23:52:35.70 ID:5jVIRqkO0

 だったら。
 だったら、ここならいくら重くても大丈夫でしょう。

 この、大地なら。


 私は静かに身を倒して、白い砂の上へと、自分の体を投げ出した。

 誰かに寄りかかる人生を送ってきたけど、その安寧はみんな、裏切られた。
 みんなみんな、私を裏切っていく。


 だから、私は大地に寄りかかる。


 さすがにこんどは裏切られることはないだろう。

 大地はどこにも行かない。
 大地は私の重さに耐えかねて、やんわりと別れを切り出したりはしない。
 大地は、父の手にかかって抹殺されたりすることはない。

 そう、私のせいで、殺されるようなことは――



53: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/08/29(金) 23:54:45.71 ID:5jVIRqkO0

 軽い音を立てて、何かが私の前に落ちた。
 屋敷を出るときに摘んで、そのまま髪に飾っていた、ピンク色のプルメリアだ。

 「プルメリアの花を摘むと、白い樹液がにじみ出るけど、これには弱いながらも毒素があるの。 」
 「目に入ったら水でよーく洗い、すぐに医者に観てもらう事。いいわね。」

 小さいとき、まだ少しは私にやさしかった「母」から、そう教えを受けていた。
 そのことを思い出した。
 記憶の中の「母」はまだ若く、苦労と世間を知らない、お嬢様の顔立ちをしていた。


 私はピンク色の花を手にとって、それをそのまま、口に運んだ。

 ゆっくりと咀嚼し、舌を刺すぴりぴりした味に辟易しながらも、ごくりと、全部を飲み込んだ。



54: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/08/29(金) 23:57:30.46 ID:5jVIRqkO0

 ふと思い立って、私は着ていた服を脱いだ。
 下着もいっしょに全部、脱いだ。
 すべての衣服を脱ぎ終わると、それらをくるくると一まとめにして、ぽい、と遠くへ放り捨てた。

 大地に身を預ける者として、それは礼儀であるような気がした。

 だって、私が服を脱いだら、きっと大地は喜ぶだろう。
 それに、肌をしっかりと密着させる、あのほっと安心できる束の間の感覚は、私も嫌いなものじゃない。

 肌と肌が触れ合う瞬間に、私は愛されるのだ。


 夏だというのに悪寒がする。
 それは酒のせいか、服をすべて脱いだためか。それとも、プルメリアの毒のせいだろうか。

 …私の頭はもう、働かない。



55: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/08/29(金) 23:59:00.54 ID:5jVIRqkO0

(…それは、初めてで唯一の、私の反抗?)

 一瞬、そんな考えが私の頭を掠める。


 ドクオ。


 私は身を横たえて、頭を左右に振る。
 長いストレートの黒髪が、幾房か、さらりと地面に流れた。

 服を脱いだ私は、きっと美しいのだろう。
 この瞬間だけ、私は、誰にだっておびやかされずに、自分でいることができるんだ。


 だから早く、叱りに来い。



56: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/08/29(金) 23:59:49.00 ID:5jVIRqkO0
川 ゚ -゚)クーはやっと人を好きになったようです おしまい。



戻る