喋るアンパンを食う度胸は無い

1: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。 :2007/05/25(金) 17:54:14.07 ID:F3jISvOM0
「ジンだ。ジンをくれ」
 薄暗い店内に入るなりスツールに座ったその男はレインコートの襟を立て、
フェルト帽を目深に被ったままバーテンダにややぶっきらぼうにオーダーした。
「二杯目にはビタースを垂らしてくれ」
「かしこまりました」
 この日の深夜、そのバーの客は肌が浅黒く酒を流し込む唇の蒼みがかりが少し目立つこの男ひとりきりだった。
「お客さん、この街へはお仕事で?」
二杯目のジンにアンゴスチュラビタースを数滴落としてステアしたものを男のコースターに置きながらバーテンは尋ねる。
「そんなところだ」
 ラジオからは古いロカビリーが流れていた。



3: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。 :2007/05/25(金) 17:57:05.22 ID:F3jISvOM0
 男はあおる様に胃に流し込んだ一杯目とは趣きを変えて、
グラスの中の氷の周りで揺らめくビタースでやや朱く染まった
杜松酒のアルコールのゆらめきを眺めていたが、少しずつ口をつけ始めた。
 ラジオの曲が終わり、ディスクジョッキーが今週の出来事に関する短評を述べるコーナになる。
一昨日、街に程近い森で遭難した子供を救助した男の話題。
「彼は今週も大活躍でしたね」
 バーテンはグラスを拭いながら話を切り出したが、男はすぐに応えずにグラスに
半分残ったジンビタースを一息に飲み干してから一人ごちた。
「正義面したアンパンの中には、どす黒いアンが詰まっているものさ……」
バーテンはふと思い当たる事があり、楽しそうにラジオに耳を傾けるその男の目を覗き込む。
そこには冷たく深い闇が光っていた。
「あんた、まさか、バ……」
「ごちそうさま」
男はゆっくりと立ち上がるとコートの襟を直し、グラスの脇に酒代には多すぎる額の紙幣を無造作に置く。
「バイバイキン!」
 男はバーテンにウインクするとドアを開け、表に続く階段をゆっくりと上がっていった。



7: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。 :2007/05/25(金) 18:00:09.79 ID:F3jISvOM0
 雨はまだ止んでいなかったので、男は腕時計型の無線機を操作してUFOを呼んだ。
彼の所有物である事は公然の事実なので、未確認飛行物体という表現は不正確だが、
長年そう呼称されてきているうちにいつしか彼もそのマシンを「UFO」と呼んでいた。
 静粛な機関音で上空に待機していた彼の垂直離着陸機は音も無く濡れたアスファルトに降りる。
そしてキャノピーを開けて機体に乗り込み、男がシートに身を沈めた瞬間だった。
 反対車線の五十メートルほど離れた場所に停まっていた車両がハイビームでその機体を照らし出し、
同時に咳き込むような音を轟かせてエンジンをスタートさせた。
の中ではステージの上のプリマドンナよろしく煌々と夜の街路に浮かび上がる。
「そこまでよバイキンマン!」
 逆光の向こう側から拡声器を通してやや割れた女の声が届く。
ヴァイキンは手元のスイッチでキャノピー風防の全周囲スクリーンの防眩フィルタを有効にして、
望遠モードで声の主を特定しようとした。
 柔らかく雨の降る街路でアイドリングしている軍用装甲車。
アンテナ類の多さからして前線指揮官車輌。そしてその上部にはハッチを開き上半身をせり出してマイクを握っている
白い軍服の細身の女がこちらを見据えていた。
「おちおち酒も楽しませてもらえないのか、バタコ少佐」
ヴァイキンは口元だけでにやりと笑うとパネルに目を走らせた。
レーダスクリーンには上空で哨戒する一体のパン型戦士の機影を捉えている。
その鋭いマニューバは高機動モデルの食パンマンのものに違いなかった。
「コイツはちょっとキツいな。OK、降参したほうがよさそうだ」
ヴァイキンは無線のチャンネルを国際共通緊急周波数に同期させると、マイクを取る。



8: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。 :2007/05/25(金) 18:01:58.76 ID:F3jISvOM0
「ヴァイキン国所属ファージワンよりジャム国当局へ、当機は降伏を宣言する。
 国際法と人道に則った処遇を要求する。最寄の着陸マーカを指示されたし。繰り返す――」
 しかし唐突にヴァイキンの無線は強力な妨害電波ECMによって中断を余儀なくされた。
チューナのツマミを捻って調整しようとすると、低い男の声を傍受した。
「少佐、奴との通信を切れ。同時にフルパワーで九十秒間ジャミング。後に全火力を叩き込め。
 光学捕捉を落とすな。システムタイムを戻してログは上書きしろ」
「しかしこの市街地で」
「少佐、復唱はどうした?」
「了解しました。着陸中の敵航空機を殲滅します」
女士官は身体をハッチの中に滑りこませて電子戦の準備に取り掛かったようだった。
「正気か」
 ヴァイキンは反射的にスロットルに手を伸ばし、平時には細かすぎるほど綿密に行なうチェック作業を全て飛ばして
シートベルトだけを装着するとヴァイキンは機体を激しく上昇させた。



9: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。 :2007/05/25(金) 18:05:14.80 ID:F3jISvOM0
「酒が回る」
 急だったので着用する間の無かったGスーツが、彼の尻と座席シートの間で
せわしく空気の出し入れを開始していて、どうにもむずがゆかった。
血液が一気に全身から脳内に移動するのを体感しながら急制御で水平飛行に移る。
「国境まで八キロか。どうかな……」
暖機してあったとはいえ、この天気でこのような飛び方ではマシンに負荷がかかりすぎている。
計器飛行よりも地文飛行の方が好きなヴァイキンではあったが、
この状況で高度も上げられず、ビルや尖塔の間を縫うように切り返す度に
パネルのアダムスキーフラップの警告灯が瞬くようなこんなフライトを心の底から楽しむことができるほど、
もう彼は若くはなかった。



11: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。 :2007/05/25(金) 18:08:49.68 ID:F3jISvOM0
 市街地を抜けて森の上空に出た途端に、けたたましいビープ音と共に合成音声が飛来物を警告する。
機体のすぐ後ろを送り狼のように追跡する食パンマンとデータリンクした、
今はもうはるか後方のバタコの車輌から地対空ミサイルが放たれたことを告げていた。
「さすがに食パンは速いな」
 遮蔽物のない森の上では食パンを攪乱することができない。
このままでは一秒間に八回、白い追跡者から目標位置補正信号を受けているミサイル群が
正確にヴァイキンのUFOに喰らいつくのは時間の問題である。彼は兵装パネルに手を伸ばした。
「ん、そうか」
しかしすぐにその手を操縦桿に戻す。
 この日のフライトの目的は簡単な補給であり、さらには雨の為に戦闘を想定しておらず、
燃費も抑える目的で水圧砲もデコイも、ユニット化されたディスペンサシステムごと降ろして
格納庫に転がしておいたことを思い出した。
「貧すれば鈍するってか。おれも焼きが回ったのかな」
 ミサイル接近を示す警告音の間隔が段々と狭まってきている。
食パンマンは頭部に雨天用のラッピングを施し、つかず離れずの距離でいやらしく追跡を続けている。
「仕方ないな」
決断するとヴァイキンは進路を変えた。



13: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。 :2007/05/25(金) 18:12:38.67 ID:F3jISvOM0
 森が開けて月明かりを静かに湛える大きな湖が見えてきた。キョウリキ湖。
ジャム連邦共和国とヴァイキン国(そもそもジャム側はこの国の成り立ちを認めてはいないが)
の国境というよりも暫定的停戦ラインというべき川の終点であり、ジャム国首都の水源でもある。
「さてと、今日明日と徹夜で吸排気系を見てやるから少しだけ辛抱してくれよ」
 言うやいなやヴァイキンは足を踏ん張った。
コントロールスティックを前一杯に倒し込まれた彼の機体は
自由落下に近いスピードで着水、衝突してそのまま潜行した。
 数秒と間を置かずに、白い地対空ミサイルは水面に突き刺さり、
一瞬の間を置いて信管を作動させて六本の白い水柱を断末魔の咆哮と共に
高々と上げるとその太く短い生涯を文字通り燃え尽きさせた。
 水面の動きが落ち着いたところで湖岸に着陸していた食パンマンは、
ゆっくりと爆心地のあたりをホバリングして戦果評定を行なったが、
水中衝撃波にやられて死んだか気絶して浮いている魚の群れの間にオイルの一滴も発見できず、
爆発でシェイクされた水中の濁りもひどかったのでそれ以上探索を続けることもできず、
なにやら無線を受けると街の方に帰っていった。
数分後、森と反対側の岩山に近い岸のそばで本体と同じパターンの紫色の夜間迷彩が施された潜望鏡が
水面を割ってゆっくりと2周、回った。続いてレーダとアンテナでも周囲を探ってから
やっとヴァイキンは機体を浮上させると、そのままのろのろと本拠の方角へ飛行を開始した。
「パン屋の野郎、このところ手段を選ばなくなってきたな……」



16: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。 :2007/05/25(金) 18:16:15.41 ID:F3jISvOM0
 ヴァイキン城。荒涼たる山岳地帯に辺りを睥睨するかの如く聳えるこの古城は
ヴァイキン国の首府であり、ジャム連邦共和国に睨みを効かせる前線基地でもある。
前近代的ながら頑強なフォルムを持つその山城は、ヴァイキンが入城するはるか以前より
この領地と領民を外敵から守ってきた。相当の古代に人の住めない岩山になるまではの話ではあるが。
しかし十数年前にヴァイキンがこの地に入り、少しずつ手を入れて現在では、
その佇まいは久しく無人状態の続いた頃と然して変わらないものの、
最新鋭のテクノロジを内包する鉄壁の要塞と化しており、その改修は今でも続いている。
「バイキンマン、お腹減った」
「もうすぐ食事の支度ができるから」
ハンガー格納庫でUFOの修理にあたるヴァイキンを敵対陣営側の使うマスコットネームで呼ぶこの少女の名はドキン。
数年前の戦闘の際、ジャム側で当時はテスト兵器として投入されていた
機動地上要塞アンパンマン号の主砲の一撃で街区ごと瓦礫となった家の中で泣いているのを
ヴァイキンが偶然見つけて救い出した戦災孤児である。しかし彼女はその出生を知らない。
「早くしてね」
 ドキンにしては控えめに自らの意思を伝えると重い防火扉を開けてダイニングの方に歩いていった。



17: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。 :2007/05/25(金) 18:20:02.15 ID:F3jISvOM0
 食後にまたすぐラチェットを握るのは分かっていたが、

ドキンが嫌がるのでシャワーを浴びて念入りに身体に染み付いた

オイルの匂いを落とすとヴァイキンは食堂に向かった。

既に執事のカービイが頃合いを見計らって給仕についている。

「カービイ、またおいもの料理なの」

「申し訳ありませんドキン様」

 そもそもヴァイキン国の食料事情は厳しい。

その国土の九割五分以上が不毛な山岳地帯。

鉱物資源には事欠かないが、農林水産物の自給率は限りなくゼロに近い。

とは言え、この国の国民はヴァイキンとドキンの二人の他には、

僅かな水分があれば充分生きていくことのできるカービイをはじめとするカビルンルン達だからこそ、

現在でもなんとかやっていけているのだった。



19: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。 :2007/05/25(金) 18:23:57.89 ID:F3jISvOM0
「はぁあ、また食パンマン様に焼きたてのおいしいパンでももらおうかしら」

テーブルに肘をついてソテーされたジャガイモをフォークでもてあそんでいたドキンは

意味ありげにヴァイキンに目を流しながら溜め息をついた。

 カチャリ。

 それを聞くとヴァイキンはナイフとフォークを皿の縁に置く。

「ドキン、食パンマンの渡すパンを食べたのか?」

ヴァイキンは静かに、しかし真っ直ぐドキンの眼を見て訊いた。

しかしドキンはすぐに眼を反らし、フォークの先で少し冷えたイモを口に放り込む。

「大切なことなんだ。奴のパンを食べたのか?」

 このところヴァイキンは悩んでいた。



20: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。 :2007/05/25(金) 18:27:18.96 ID:F3jISvOM0
 自らが引き起こしたとも言える戦火で実の両親を彼女から奪ってしまった負い目が、
育ての親として何年も愛情を注いできたつもりできた現在でも消えず、
ジャム連邦共和国側の同じような年頃の女の子たちが熱を上げている高機動美男子食パンマンに
夢中になっているドキンに強く物を言えずにいた。

 掃除係のカビルンルンの報告で、ドキンの部屋に食パンマンのポスターが貼ってあることも知っていた。
つまりは何年前かの誕生日、正確には彼女を発見した日だが―――に作ってやった
専用のUFOで単独越境してジャムの街で遊んでいるのも黙認していた。

しかしあのパンだけは食べさせるわけにはいかない。

「なによ。食べてないわよ。ちょっと言ってみただけじゃない」
「わかった。ちょっと来なさい」

 そう言うとヴァイキンはナプキンを椅子の上に放り、
テーブルを回り込んでドキンの後ろに立つと左手で椅子を引き、ついて来るように促した。
 今までに無かった状況に戸惑ったドキンはナプキンで口を拭うと水を一口飲み、

「まだご飯途中なのに」

とだけ言ってヴァイキンに続いて部屋を出てエレベータに乗る。



21: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。 :2007/05/25(金) 18:30:40.26 ID:F3jISvOM0
 若干の気まずい沈黙の中、ヴァイキンは研究開発セクタである地階のボタンを押した。

「君には、今まで君には苦労をかけてきた」

少し大きなエレベータのメインモータの作動音の中でヴァイキンはドアを見つめたまま口を開いた。

「だから少々の事には目をつぶってきたが、パン屋どもにだけは心を許してはならない」

昇降機の駆動音に負けないように少し声を張って言ったせいか、その言葉にドキンはやや反感を覚える。

「なによ、ふた言目には『パン屋ども』って。いい加減に仲直りすればいいじゃない」
「そうもいかないんだ」

 古風なベルの音が到着を告げてドアが開く。その小部屋に二人が入ると壁から空気が噴き出して
目に見えない埃を落とした。ヴァイキンは壁に掛けられた白衣を纏い、密閉式のドアを奥に進む。
 白とグレーを基調とした無機質なラボの中で数名のカビルンルン達が黙々と作業を行なっていた。

「例のコッペパンを持ってきてくれ」

ヴァイキンは手近な研究員に言った。程なく、二人の立つ実験テーブルの前に
フリーザから出されたばかりの凍てついたパンが厚手の手袋をはめたカビルンルンの手で運ばれてくる。



23: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。 :2007/05/25(金) 18:34:01.23 ID:F3jISvOM0
「それ、ジャムおじさんが向こうの動物達に配っているパンじゃない」
「そうだ。それを徴用してきたものさ。向こうのニュースじゃ『バイキンマンの掠奪だ』なんて言っているけどね」
「……どうせUFOで脅かしたんでしょ、リャクダツじゃない」

 ヴァイキンは黙ってその凍ったパンを大きなビーカの底に置いてから水を注いだ。
コッペパンは急激な温度差で表面にヒビを入れ、
さらにガラス棒でしばらく混ぜられたりつつかれているうちに次第に形を無くしていく。

「普通のパンじゃない」
「底の方を見てみるんだ」

と、ヴァイキンに指し示された容器の底部をドキンが注視すると、
底には明らかにパン屑とは異なる白い粉状の沈殿物があった。

「なに……これ?」
「慢性的な依存性の強い、ある薬品さ」



26: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。 :2007/05/25(金) 18:37:22.61 ID:F3jISvOM0
 そもそもジャム連邦共和国はつい最近まで貨幣経済制度が成り立っておらず、
各人で生産したものを皆で分け合って支え合う、半ば原始共産的な物々交換社会だった。

 その中、ジャム当局は「国家に栄光を、国民にパンを」のスローガンのもと、
主食であるパンの配給による支配体制を築いてきたのだが、ヴァイキンの地道な、
山賊的ともいえる通商破壊工作により、近年はそのシステムの見直しを余儀なくされ、
部分的な貨幣制度を導入していた。

 しかし一部地域での、殊に若年層に対するパンの無料配布は現在でも続いている。

「麻薬入りのパンだなんて……」
「そうだ。ちなみにこのコッペパンは小学校の給食だった物を頂戴してきたものだが、
 やつらの所業はこれだけにはとどまらない。このパンを工場で作っているひとたちのパンも当然こいつだし、
 近頃は水にまで混ぜているようだ。しばらくは向こうに行くのを控えた方がいい」
「分かったわ。って、私があっちに遊びに行ってるの、知ってたのね?ごめんなさい」
「まぁ何となく、ね。さて、ご飯を片付けちゃうか。カービイが待っているぞ、戻ろう」

 ヴァイキンは少女の肩を優しく叩いた。



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