(´・ω・`)はメールを打つようです
- 110: 「冬」 :2007/08/26(日) 00:08:49.32 ID:PA9lLIBU0
- 月日は瞬く間に過ぎていった。
カレンダーは最後の一枚しか残っていない。
そしてそのカレンダーも、あと一週間もすれば使い切ってしまう。
今日はクリスマス。
僕としぃは食事を通じて交流を深めた。
お互いに気に入った店を見つけてはメールで情報を交換し、
都合の合う日に二人で行って、その感想を述べ合ったりした。
そうして時間を共有しているうちに、
徐々にだけれど、言葉遣いもくだけた調子に変わっていった。
彼女は年上の僕に気を遣ってか、未だに「ですます」口調だったけど。
メル友から、友人ぐらいにはランクアップしたかな。
帰り際に手を振る度に、いつも僕はそんな事を考えるのだった。
考えて、どこか切ない気分になるのも、毎度の事だった。
- 112: 「冬」 :2007/08/26(日) 00:10:29.31 ID:PA9lLIBU0
- 思えば不思議な出会い方だった。
僕の耳が聴こえていたらこんな展開にはなっていなかっただろう。
奇跡的な偶然と書いて、奇遇。
それが今、僕に訪れているのだなと噛み締めるように実感した。
電車が駅に到着した。
冷たい外気に触れて身体が縮み上がる。
吐く息は白くなっていた。
僕は少し折り目の付いた切符を手に、改札を通り過ぎた。
腕時計をちらりと見ると、もう午後七時を回っていた。
電車から見た時には気にしなかったが、辺りは相当暗くなっている。
夜空には星なんて無いけれど、
もっとそれ以上の何かが、爛々と輝いているような気がする。
僕は急いだ。
いつものように、あの大きな木へと。
- 117: 「冬」 :2007/08/26(日) 00:12:31.51 ID:PA9lLIBU0
- 冬の夜は寒い。
この街では尚更だ。
実際の気温以上に凍えるような、そんな空気が蔓延している。
この地で自分だけの暖かい場所を見つけるのは困難な事だ。
葉がすっかり散り、枯れ木となってしまった樹木の下に彼女はいた。
厚手のコートを纏っている。その下からはドレスがちらりと見えている。
僕は片手を上げて駆け寄り、息切れを我慢しながらメールを打ち込んだ。
(´・ω・`)『ごめんよ、ちょっと遅くなった』
(*゚ー゚)『もー、ちゃんとして下さいよー。
今日はショボンさんが奢りの日なんですからね!』
(´・ω・`)『いやあ、悪い悪い』
軽い談笑。
この待ち合わせた時のちょっとした会話が、僕は好きだった。
- 123: 「冬」 :2007/08/26(日) 00:14:27.71 ID:PA9lLIBU0
- クリスマスだと言うのに恋人もいない僕達は、
お互いを慰め合うと言う名目で、この聖なる夜に食事の約束をしたのだ。
自分でもよく彼女がOKしてくれたものだと思う。
でも、僕は彼女に嘘を吐いていた。
本当の目的は、そんな事なんかじゃない。
駅へと続く道を戻り、駅前の大通りに向けて歩いた。
横断歩道を渡る事にはまだ抵抗がある。
恐怖なのか緊張なのか、直前で足が竦んでしまう。
耳の悪い僕が信じられる情報は目で捉えられるものしかないからだ。
そんな臆病な自分を悟られないよう、
僕は前を向き、背筋を伸ばしてアスファルトに描かれたストライプを横切った。
- 130: 「冬」 :2007/08/26(日) 00:16:56.04 ID:PA9lLIBU0
- 交差点を渡り切り、ほっと息を漏らす。
目に映るものしか信用出来ない僕にはいつまでたっても鬼門だ。
逆に言えば、僕は見えるもの全てを信じてしまいがちになってしまっている。
この巨大な街に、自分は本当に存在しているのか。
普通の人なら自分が街を見る事が出来るから、
自分も街に住む他者の目に映っている筈だと、当然の事のように考えるだろう。
何を馬鹿な事を、と思うかもしれないが、
僕は時々、世間が自分を求めていないのではないかと不安になってしまう。
仮に求める声があったとしても、僕には聴こえない。
どんな群衆よりも孤独な存在。
それが僕と言う人間だ。
けど今なら確証が持てる。
彼女からのメールが僕へと繋がっているのだから。
- 137: 「冬」 :2007/08/26(日) 00:19:08.97 ID:PA9lLIBU0
- 大通りに着いてすぐ、対向車線側の道路沿いにある高層ビル。
何階建てなのかすら全く見当がつかない
僕達はそんな摩天楼へと若干緊張しながら入っていった。
真夏に受け取ったチラシ。
僕はそれをレターボックスの中に保管していた。
たくさんの文字で埋め尽くされた裏面ばかりが目に付くが、
表に書かれた内容を見返して、ふと案が頭に浮かんだ。
いつか行こうと決めていたレストラン。
僕はクリスマスに彼女を誘って行こうと計画し、十月頃から予約を取った。
夏にきっかけを貰い、秋に準備し、冬に実行する。
その道筋は彼女のメールと僕の心境の変化と共にあった。
今日の為にスーツも新調した。
イタリア製の格好良い濃紺のフォーマルウェア。
少々高くついたが、後悔はこれっぽっちもしていない。
- 142: 「冬」 :2007/08/26(日) 00:21:31.35 ID:PA9lLIBU0
- 何十階もの距離を一気に駆け上がっていくエレベーター。
数分経ってようやく到着し、建物の中に構えたレストランに足を踏み入れた。
喋れない僕の代わりに、しぃが入店の際の応対をこなした。
初めて来た店の筈なのに、やけに堂々とした振る舞いを見せる。
まあ、僕も初めてなのだが。
店員に案内され夜景が展望出来る席に座った。
星の代わりには成り得ないが、眩いばかりの電光が夜を彩っている。
彼女はコートを脱ぎ、照れながらドレス姿をお披露目する。
美しい。そうとしか言い様がない。
その事を褒めるのが何だか恥ずかしくて、ついつい目を逸らしてしまった。
僕はすぐさま携帯を取り出し、話題を変えようと文章を打った。
(´・ω・`)『綺麗な夜景だね』
(*゚ー゚)『本当ですね。こんなに綺麗な景色は初めて見ましたよ』
いつの間にやら、僕達がメールを打つ速度は驚異的なレベルに達していた。
高貴な雰囲気を醸し出している紳士淑女は、奇怪な二人組に目を丸くしていた。
- 145: 「冬」 :2007/08/26(日) 00:23:55.69 ID:PA9lLIBU0
- 出された料理はどれも豪華で、
それでいて、僕のような庶民の舌にも合う美味しさだった。
肉料理が運ばれてきたところで、
九十年代の、手頃な価格の赤ワインを一本頼んだ。
とは言えあくまでこの店における「手頃」であり、十分に高価な品だ。
しぃは少し僕の懐事情を心配したが、無理して笑ってみせた。
あまりに赤過ぎて、黒と呼んだほうが相応しい程の真紅の液体。
僕は彼女のグラスにも注いであげ、食事の途中だけども乾杯をした。
芳醇な香りが漂ってくる。
一口飲むと、じんわりとした甘味と苦味が同時に舌の上に広がった。
そうした要素の全てが複雑に混ざり合い、深く豊かな味わいを構築している。
しかも癖も少なく、濃厚なジュースのように気軽に飲めた。
- 148: 「冬」 :2007/08/26(日) 00:25:53.33 ID:PA9lLIBU0
- 僕は夜景を見ていた。
子羊の肉のソテーを包む、甘酸っぱい煮詰めた林檎のソース。
二つの食材はお互いを高め合うように調和を保っている。
そんな、常に成長段階にあり続ける料理を口に運ぶ彼女の姿がガラスに映り、
それが目に入って、僕は二度三度胸を叩き自らを奮い立たせる。
言え、言うんだ。
いや、言う事は出来ない。
文字に託して、真っすぐに届けるんだ。
僕は携帯のキーを押す。
一晩懸けて考えた告白の言葉。
震える指で、それを丁寧に丁寧に打ち込んでいく。
出来上がった文を見返して、何故だか恥ずかしくなりながらも、
確認を済ませ、送信のキーを押そうとする。
なのに、どうしてもその作業が出来ない。
あと一押しを躊躇してしまう。
横断歩道を渡る時のような、表現し難い怯えが僕を襲っている。
- 152: 「冬」 :2007/08/26(日) 00:28:03.15 ID:PA9lLIBU0
- 最後の料理が運ばれてきた。
僕はそれに見向きもせず、じっと携帯の画面を見つめていた。
これさえ押してしまえばいい。
胸がすくような思いを感じる事が出来る。
これまでゆっくりと親密さを深めてきた。
きっと上手くいく筈なんだ。
誰かの囃し立てる声が欲しい。
だが、仮にあったとしても、当然僕には聴こえない。
そうやって躊躇っていると、
画面が切り替わり、メールの受信を報せる映像が流れた。
僕は何を思ったか作成した文書を破棄し、送られてきたメールを開いた。
(*゚ー゚)『私、手話を一つだけ覚えたんです。
もし良かったら、見て貰えませんか?』
- 157: 「冬」 :2007/08/26(日) 00:29:11.95 ID:PA9lLIBU0
- 僕は返信を打つ代わりに、
ただ一度だけ、目を戻してコクリと頷いた。
彼女は右手の親指と人差し指を自分の喉に当てる。
そしてそれを撮むように、すっと前に突き出した。
僕はその手話の意味を覚えていた。
子供の頃から耳が悪くて、そのハンディを補う為に学んだ手話。
けれども、それは如何なる言葉よりも不完全な言語だと思っていた。
伝わるのはごく限られた人達にだけだと、分かっていたから。
だけど今、それは僕に伝わった。
彼女の眼差しと共に、どんな気取った言葉なんかよりずっと素敵に伝わった。
(*゚ー゚)『 す き で す 』
- 168: 「冬」 :2007/08/26(日) 00:31:08.22 ID:PA9lLIBU0
- 彼女のはにかむ笑顔。
ほんのりと赤くなった頬。
お酒のせいではない事ぐらい、僕でも理解出来る。
僕はふっと笑みを漏らした。
あんなに悩んでいたことが馬鹿らしく思えて、つい笑ってしまったのだ。
笑って、涙が零れそうになる。
この手に握っていた切符は片道ではなかった。
僕は携帯を閉じて、しぃの瞳を見つめる。
返事を今すぐ伝えたかったから、
彼女の手を取って、その小さな手の平に指で文字をなぞった。
(´・ω・`)『 ぼ く も 』
そう書いて、僕はしぃの手を握った。
- 174: 「冬」 :2007/08/26(日) 00:32:46.06 ID:PA9lLIBU0
- 思いを伝える台詞なんて、いくら着飾ったとしても、
短くても素直な言葉には遠く及ばないんだ。
僕はもう一度夜景を見下ろした。
色とりどりの光が僕を祝福するように煌めいている。
「百万ドルの夜景」とはまさにこの事なのだろう。
そして目を彼女に戻した。
彼女は優しい微笑みを見せて、ぎゅっと僕の手を握り返す。
外の景色を装飾する光よりも眩しいその笑顔。
百万ドル、いや、
世界中のお金を全て集めても、この笑顔は手に入れることは出来ない。
握り締めた彼女の手から、温もりが絶えず伝わってくる。
僕の凍っていた心は、今ここで溶け始めている。
この街で一番暖かい場所。
僕はようやく見つけられた気がした。
- 181: 「冬」 :2007/08/26(日) 00:34:47.73 ID:PA9lLIBU0
- 夕食を済ませ、僕達は店を出た後。
僕達は二人、手を繋いでネオンの光に包まれた街中を歩いた。
外は冷える。冬真っ最中である事を身に沁みて思い知らされる。
緩やかな足取りで進んでいった。
向かっているのはホテル。
下心からか一応予約しておいて良かったなどと告げると、
彼女は寒さで赤らんだ顔を更に真っ赤にして、僕の肩を叩くのだった。
その顔が堪らなく愛おしい。
歩行中、いつも打っていたメールによる雑談は行わなかった。
肩を寄せて見詰め合う。
それだけで気持ちを届けられたから。
あんなに緊張した横断歩道も、
横にしぃがいてくれるから、もう怖くはなかった。
- 189: 「冬」 :2007/08/26(日) 00:36:59.72 ID:PA9lLIBU0
- ホテルの一室に入る。
交互にシャワーを浴びてベッドに腰掛ける。
明かりを全部消して、とたっての要求があり、僕はそれを受け入れた。
その際に残念そうな顔をすると、彼女はまた顔を赤くした。
二人揃って意を決し、行為に及ぶ。
最初はキス、それから段々と胸、腰、陰部へと手を伸ばす。
蛇が這うように、舌で首筋の甘い汗を舐め取る。
少しずつ頭を下げていき、汗とは違う粘度のある液体にも舌を這わせる。
彼女の嬌声や喘ぐ声は聴く事が出来ない。
直接に感じ取れるのは切なげな表情と溺れるような快楽のみだ。
それだけで十分。
言葉は要らない。
その白い肌に触れさえすれば、
しぃと、僕の存在をはっきりと確かめられる。
世界は今、僕達だけの為に回っているかのようにさえ感じられた。
- 197: 「冬」 :2007/08/26(日) 00:39:08.86 ID:PA9lLIBU0
- 愛に満ちたセックスを終えると、僕達は目を閉じた。
肩を抱いて、手を握り合ったまま。
僕は彼女の顔を見た。
少しだけ涙の跡が付いた顔にキスをする。
嬉しそうな笑顔を見るだけで、その気持ちがひしひしと伝わってきた。
時間を共有する事は、喜びも共有する事。
僕としぃは全く同じ感情で、互いを求め合っていた。
そう、確信出来た。
彼女が完全に寝静まった後、僕は身を起こして窓から外を見た。
都会では珍しい白雪が舞っている。
雪は何百、何千もの光を浴びて、輝きを放ちながら降り注いでいる。
僕は枕元に置いた携帯を手に、その光景をカメラ機能で撮影し、
『ホワイトクリスマスだったんだね』と、写真を添えて彼女の携帯に送った。
目覚める頃には届くだろう。僕からのクリスマスプレゼントが。
戻る/夏