( ^ω^)ブーンたちは漂流したようです

3: ◆xh7i0CWaMo :2008/06/08(日) 22:32:12.16 ID:HkEVV2Yc0
第十一話「素晴らしき世界」

無機質に覆われているかのように静寂な地下空間で、未だ二人の人間と一体の生きた怪物、
そして無数の怪物の死体が混在している。
沈黙してしまった生きた怪物から少し距離を置いたところで、
クーは残った右腕を顎に当てて何やら考え込んでいる。
ドクオは彼らの丁度中間あたりで狼狽し、意味もなく徘徊したりしている。

<○>「疲れたなあ」

怪物が、心底疲弊したというような声色で呟いた。
喋り疲れたという意図では、おそらく無いだろう。

亡くなった自分の同胞たちを全てこの地下空間に運び込んだこと、
その過程における仲間の死。そして、最終的に降りかかってくる、ただただ孤独であるという虚脱感。
それら全てが、怪物を――かつて人間を蹂躙して支配下におき、
生物界の頂点に君臨した高等知能生物を疲労させたのだろう。

怪物の白濁した眼球がぎょろ、と動き、クーを見遣る。
そして咳き込むような笑い声をあげた。

<○>「そういやあお前たち、どうやってここに来たんだ?」

だがクーは沈黙し続けている。彼女は、おそらくはあえて無視しているのだろう。
そこに僅かな反骨精神が見て取れるような気がした。



5: ◆xh7i0CWaMo :2008/06/08(日) 22:35:12.54 ID:HkEVV2Yc0
怪物は彼女から聞き出すのを諦め、ドクオに視線を移した。
彼は歯をガチガチ鳴らしながら答える。

('A`)「じじ、じ、地震、地震が、で、地面がくく、崩れ、て」

<○>「そうかあ」

怪物には納得するところがあるらしい。

<○>「やっぱり、随分と老朽化していたんだなあ。
     いや何ねえ。そろそろ境界面とか殻の修繕はしないといけなかったんだよお。
     結局出来ずじまいだったけどなあ。あれは、ちゃんとしておかないと、
     おれ達も、ヒトも困る事になっちまうものだったんだ」

境界面なる単語が、ドクオの言う「地面」と一致する事は間違いないであろう。
死期を悟り、遺言を宣うかのように、怪物は饒舌な語りを見せる。
気のせいか、その声量、迫力が徐々に落ち込んでいるように、ドクオには思えた。

<○>「最期に、ヒトと出会う事になるとはなあ。
     こいつは、何かの報いなんだろうかな。なぁ、そっちのメ……女のヒト」

川 ゚ -゚)「……」

<○>「あんたはどうやら、何もかも思い出しちまったようだなあ。
     おれたちのことも、ヒトのことも、歴史も……ペットだから、な。
     昔は、本当に申し訳ない事をしたと思う。
     でもな、おれたちの祖先にも……プライドがあったんだ。
     この星、いや、この世界……その頂点に立つ者としての、些末なプライドがなあ。
     その結果として、ヒトを虐げ、屠るような結果になっちまった。
     所詮おれたちも、無知だったんだ」



7: ◆xh7i0CWaMo :2008/06/08(日) 22:37:40.25 ID:HkEVV2Yc0
仮にもそれは無知と呼べるのだろうか。
ドクオは、半ば泣きそうになりながら自嘲していく。
そもそも人間だって全知全能では無かったのだ。

その本来はただ子孫を後世に残していけばそれでよい。
それが何やら、生半可な知能を身に備えてしまったから、
他の生物に影響を及ぼすまでに発展してしまったのである。

怪物にとってしてみれば、人間を殺す事など、
アリを踏み潰す程度の所作でしかなかったのかも知れない。
彼らは、この殻世界を構成するほどに卓越した頭脳の持ち主であるのだから。
だが、そんな彼らでさえ、完全ではなかったのだ。

川 ゚ -゚)「今更、どうにかなることではあるまい」

ようやくクーが口を開いた。

<○>「……」

彼女は、ドクオを押しのけて怪物の間近にまで歩み寄る。
そして、不思議そうに彼女を追う怪物の目を見据え、瞭然と言い放った。

川 ゚ -゚)「教えろ、お前の殺し方を」

怪物の目が一瞬だけ見開かれ、そしてまた咳き込むように笑った。



11: ◆xh7i0CWaMo :2008/06/08(日) 22:39:30.90 ID:HkEVV2Yc0
<○>「おれを殺しても、怨恨は晴れないんじゃないかあ?」

川 ゚ -゚)「それでも、腹の足しにはなるだろう。まさか、死を恐れているのか?」

<○>「とんでもない。放っておいても壊れる命さあ」

怪物は無数の脚を折り曲げ、丁度前屈みになるような姿勢をとる。
そして、反り返った尾の先端にある太く鋭い針で、背中のこぶを示した。

<○>「この目を潰せばいい。おれたちの身体はヒトより遙かに頑強だけど、
     ここだけが唯一の弱点なんだな。だからこそ、ここの病気は致命的なんだ。
     物理的な攻撃は、目蓋を下ろせばそれで済むんだけどな」

ドクオはぼんやり立ち尽くして眺めている。クーを止める気には、なるはずもなかった。
全体像は把握できないが、彼女にはこの怪物を殺す動機や権利が十分にあるようだし、
怪物も自らが殺される事をすでに受け入れている。
彼は邪魔にならないよう、一歩身を引いた。

川 ゚ -゚)「ふむ、そうなのか。初めて知ったよ」

クーはそう言い眼球に向かって、先程腐敗して落ちた左腕を右腕で突き出した。
彼女はそれを、力一杯怪物の眼球に突き刺すつもりらしかった。

川 ゚ -゚)「知識を持つ怪物は、これで滅亡するわけだな」

その口調には、復讐を果たす喜び以上に、どこか恍惚めいた快感を含んでいるようでさえあった。



13: ◆xh7i0CWaMo :2008/06/08(日) 22:41:05.04 ID:HkEVV2Yc0
<○>「いやあ、まだ、完全に滅亡したとは言えないんじゃないかなあ。
     上にもおれたちの仲間はいるからなあ」

川 ゚ -゚)「上に?」

<○>「ああ。基本的にはヒトの監視、そして下の世界と連絡を取り合うって職務を担ってるんだ」

川 ゚ -゚)「そいつは、ここに降りてきていないのか」

<○>「あいつは変わり者だったからなあ。
     彼が住む管理スペースは一応居住できるだけの空間に整えられているんだ。
     だから、余程のことが無い限りあいつがあそこから出てくることは無かったな」

引き籠もりか。ドクオは瞬間、状況も忘れて虚ろな笑みを浮かべた。

<○>「そもそもあいつは、人間に異常なまでの関心を抱いていたからなあ。
     ……こちらの連絡係が死に絶えたから戻ってくるだろうとも考えたが、
     結局帰ってこなかったなあ」

川 ゚ -゚)「見捨てたみたいだな」

<○>「ううん、そうかもしれないなあ。あまり騒ぎに関わりを持ちたくない性格だったから」

川 ゚ -゚)「しかし、お前は何でもよく知っている」

クーがある種の期待を込め、皮肉めいた口調で言う。
怪物は一瞬話す事を躊躇するような仕草を見せたが、すぐに白状した。

<○>「ああ。俺は、この世界の管理に属していたからなあ。お前たちのことも、
     歴史も……それこそ、一般大衆には教えられないような歴史もよく知っているよお」



15: ◆xh7i0CWaMo :2008/06/08(日) 22:42:58.97 ID:HkEVV2Yc0
途端に、クーが笑った。狂ったように笑った。
いや、実際彼女は些か狂っているのかも知れなかった。
それは、彼女が左腕を落とした時の反応からしても明らかではなかったか。
大体、狂っているからこそここまで生きているのかもしれないのだ。

ひとしきり笑い声を響かせたところで、彼女は不意にピタリと口を噤んだ。
しばらくの静謐の後に、彼女はぼそりと呟いた。

川 ゚ -゚)「それは、素晴らしいな。お前を殺す価値が上がる」

ごふ、と怪物は痰がからんだような音を鳴らして呼吸した。
ドクオにとっては、怪物が如何様な表情をつくっているのか定かではない。
だが怪物が今、非常に複雑に表情筋らしきものを歪ませているように感じた。

クーが更に一歩怪物に歩み寄った。これでもう、両者の間にはほとんど距離が介在しない。

川 ゚ -゚)「もう、ほざくことは無いか」

<○>「もう……無いなあ」

クーは怪物に左腕を向ける。怪物の背中にある眼は、
その断面を穴が開くほどに凝視し続けている。時間が止まり、やがてクーは言う。

川 ゚ -゚)「せいぜい苦しめよ」

そして、彼女は勢いよく、左腕を怪物の、拳大ほどもある眼球に突き刺した。



17: ◆xh7i0CWaMo :2008/06/08(日) 22:45:03.22 ID:HkEVV2Yc0
重低音の咆吼が轟いた。それと同時に、怪物が脚を一斉に躍動させてのたうち回る。
左腕の突き刺さった眼球からは、白濁とした液体が緑と紫の鱗を伝い、
止め処なく床にこぼれ落ちていく。

あれは、ともすれば怪物の涙なのだろうか。分からない。
だが、その暴れようからして、落涙して余りあるほどの苦痛であることは間違いなさそうである。

クーは、怪物の断末魔を瞬きもしない様子で見つめ続けていた。
まるで一秒でも長く、その憐れな姿を焼き付けようとするかのように、
彼女は決して視線をそらそうとはしない。

その叫喚は一分ほども続いただろうか。けたたましく脚をばたつかせ、
ついには横臥し尾を四方に振り回しながら怪物はもがき続け、そのうち、静やかに動きを止めた。
脚と尾がだらりと垂れ下がり、前部の双眸が閉じる。
ドクオも、おそらくクーも、その時になってようやく、怪物の苦悶と死を確信した。

川 ゚ -゚)「残虐だと思うか」

クーが口角を吊り上げてドクオに問うた。
未だ、その幻のような情景から抜け出せないドクオは、彼女の質問に答える事が出来ない。

彼女の、残っていた右腕さえも今や彼女の身体を離れて、地面に落ちていた。
衝破の反動で、ちぎれてしまったらしい。



18: ◆xh7i0CWaMo :2008/06/08(日) 22:47:16.86 ID:HkEVV2Yc0
川 ゚ -゚)「……昔の話だ」

怪物の死体の前にぺたんと座り込んで、クーは回顧する。

川 ゚ -゚)「怪物共に追われた人間たちは、少数のグループを構成し、辺境で生きる事を決意した。
     その頃にはもう、奴らに都市部はおろか、
     ほとんどの居住地を奪われてしまっていたからな。
     最新の兵器も奴らには無力だったと聞く。物資と土地と矜恃を失った人間は、
     ほとんど原始人のような暮らしを余儀なくされたんだ」

彼女は淡々と物語を綴っていく。まるで自分とは関係のない事と主張するように、
そうしなければ自己が崩壊してしまうのではないかと恐れているかのように。

川 ゚ -゚)「それでも、怪物は時々襲いかかってきた。
     私たちの住処を探索し、執拗に殺戮、仲間の培養をするんだ。
     中には狩猟のように楽しんでいる者もいたかもしれない。
     『いただきます』などと自己満足な規律に従って、
     人間の額に針を刺した者もいたかもしれない」

今クーに腕があれば、彼女はおそらく拳を地面に叩きつけていただろうなと、ドクオは思った。

川 ゚ -゚)「その度に人間はせっかく生活できるようにできた住居を捨てて、
     さらなる辺境を行かなければならなくなる。
     そのうちに精神が壊れるのは、ある種当然だったんだろうな」

彼女の視線が虚ろに彷徨う。



22: ◆xh7i0CWaMo :2008/06/08(日) 22:49:38.78 ID:HkEVV2Yc0
川 ゚ -゚)「私は、生まれながらにして娼婦であり、盾だった」

ドクオは吃驚して彼女を、見つめた。

川 ゚ -゚)「逃亡しているうち、怪物が襲いかかってこなくなったらしい。
     それまでに何十年、もしや百年以上経過していたのかもしれないが。
     そうしてようやく、人間――少なくとも私の所属していたグループは、
     安住の地を手に入れる事が出来た。だが、その時にはすでに遅かったんだな。
     長年の逃亡と、絶望で、狂人と化していた。そんな中に私は生まれたんだ」

膝を折り、クーは体育座りのような姿勢をする。その前に怪物の死体は聳えている。
眼球からの液体の漏出は止まっていた。

川 ゚ -゚)「最初は皆優しかった。私が幼かったからな。
     その時に私は多くのことを教えてもらった。今喋っている内容も、だ。
     そしてようやく一人前になったころ、私は一人の男にあてがわれた」

しばらくの沈黙。二人がほぼ同時に溜息をついた。クーが話を続ける。

川 ゚ -゚)「その男は、どうやら居住地の警備をしているらしかった。
     だが、最早あの男にはそんな能力は備わっていなかっただろうと思う。
     きちがいの眼をしていた。
     私はそこに、彼を守る役目を担って赴いた。しかしそんなもの、
     怪物がほとんど襲ってこないと分かっているあの時となっては、建前でしかなかったよ。
     奴と同居し始めた最初の夜、私は、当然のようにして犯された」

耳を塞ごうと、ドクオは手を動かした。だがその手は、すんでの所で止まってしまった。
クーに見咎められるのも、逃避しようとしている自分自身も恐ろしかった。



24: ◆xh7i0CWaMo :2008/06/08(日) 22:51:27.14 ID:HkEVV2Yc0
川 ゚ -゚)「そんな暮らしが、どれぐらい続いただろうな。
     最初、私は男を、ともすればグループの人間全員を憎んでいた。
     騙されたとさえ思っていたんだ。だが、そのうちに憎悪の感情は消えていったな。
     おそらくは、自分の中で割り切れたんだと思う。これはこういうものなんだと」

歪んだ苦笑を浮かべた。

川 ゚ -゚)「まぁもっとも、そうやって割り切る事が出来るあたり、
     私自身もまた、狂っていたんだろうがな」

クーが立ち上がろうとする。しかし手が無いので、
上手く上体を持ち上げる事ができないようだった。
彼女を支えようとドクオが駆け寄るが、一瞬触れていいものかどうかと躊躇する。
だが、クーはいとも容易くドクオに身を委ねたので、
ドクオは悔恨の念を覚えながら彼女を立ち上がらせた。

川 ゚ -゚)「そうしているうち、再び怪物がやってきた。
     だが、今度は彼ら、襲いかかってこなかった。それどころか人語で宣ったんだ。
     『貴方たちを助けに来ました』と。
     奴らは途轍もなく巨大な飛行機械に乗ってやって来ていた。
     たった百数十年のうちに、奴らは人間が何千年もかけて辿り着いた、
     科学の極致を越えたんだ。おそらく、人間が変貌した姿だから、なのだろうが。
     それに気付いた瞬間に、私たちは奴らへの抵抗の意志をほとんど失っていた。



26: ◆xh7i0CWaMo :2008/06/08(日) 22:53:11.16 ID:HkEVV2Yc0
川 ゚ -゚)「そうして連れてこられたのがあの世界だ。
     そこで人間は手術を受けた。さっきあいつが言っていたことだ。
     感情のほとんどを排し、高等知能生物ではなく、あくまで子孫を残すための存在として、
     生かす。それが奴らなりの保護方法だったんだ。
     そこで問題になったのが、私の処遇だった。
     その頃にはもう、人間として認められていなかった、私の」

ドクオにはすでに結末が読めている。だからといって喚く事も出来ず、
彼は泣くように笑うばかりだ。

川 ゚ -゚)「私……というよりは娼婦という存在が最早習慣化していた。
     だから怪物共も、それを完全に排除する事は難しいと考えたんだろう。
     そこで、ペットというシステムがつくられた。
     私を含め、複数の人間の遺伝子が彼らによって改竄され、
     人間にもっとも従順で、知能もあまり持たないような傀儡へと『改良』されたんだ」

('A`)「……」

川 ゚ -゚)「だが、それにも欠陥があったらしい。ここからは私の推測でしかないが、
     私たちペットの知能や記憶は、誕生していくらかの期間を過ぎると、
     徐々に蘇ってしまうんだ。だから、彼らは寿命を設けた。そして人間に植え付けた。
     一定期間を過ぎたペットを、廃棄するように。
     まぁ生憎私の場合は、先に飼い主が死んでしまった。
     それからしばらくは、曖昧な知能と記憶しかなかったが、悲しむべきか、
     今となってはこのように、何もかも思い出してしまっているよ」



28: ◆xh7i0CWaMo :2008/06/08(日) 22:55:19.72 ID:HkEVV2Yc0
彼女はそこで話を終える。ドクオは彼女の台詞の一字一句を、ほとんど余さず、
記憶の中に刻みつけてしまっていた。

('A`)「わ、わから、わからない」

川 ゚ -゚)「ん?」

('A`)「ああ、あんたが虐げられてきたのは、むしろ、むしろ人間から、じゃ、ないか。
    なのに、何で今、あんなに憎んで、憎んでか、怪物を殺した……?」

クーがまた笑みを浮かべた。だが、さっきとは打って変わった、朗らかな笑みだった。
「さあ、そこだ」クーはドクオの方を向いて、言う。

川 ゚ -゚)「お前の言うとおりだ。私が、私個人が憎むべきは怪物じゃあないだろう。
     むしろ私を娼婦としてしか扱わなかった人間達だ。
     ……最早私にも分からない。私がどうして奴を憎み、殺したのか。
     もうどうしようも無いんだからな」

ははは。はははははははは。はは。あはははは。
乾いた嬌声が空間を満たしていく。

川 ゚ -゚)「教えてくれ、今、私は何故ここまで饒舌なんだ?
     奴と同じように、死期を悟っているのか? 私はそれを知っているのか?
     奴を殺したのは私の本能か復讐心なのか? ならば私は人間なのか?
     何故こんな世界が出来た? 人生とは、もっと美しく素晴らしいものじゃないのか?
     両腕が無くなってしまったぞ、それほど痛まないのは何故なんだ?」

あはははははははは。あは。あはははははははは。はははは。

―――――――――――――――



30: ◆xh7i0CWaMo :2008/06/08(日) 22:57:29.27 ID:HkEVV2Yc0
ブーンは居住ビルの最上階で、ギリギリと歯軋りをした。
その場所からは、大小様々な怪物の動く姿がある程度眺望できる。
幸い、このビルに上ってくる気配はない。彼らは、集団でどこかに移動しようとしているらしかった。
その方向を見、考えた上でブーンは愕然とする。彼らはどうやら、
以前モララーが言っていた「崩れかかっている場所」を目的地として歩いているようなのだ。

ブーンの中にあった目論見が崩れた。
ともすれば、地下空間に逃げ込む事が出来るのではないかと考えていたのだ。
だが、あれほどの大移動をするということは、当然何らかの目的があると思われる。
それが、地下をも侵略するという事である可能性は、非常に高いのではないだろうか。

ならば別の方策を見いださなければならない。
今となってはおそらく、彼らが移動してきた方向へと逃げるのが得策であろう。
では、そちら側には何か安全地帯があるのか。熟考するだけの時間は、
どうやら残存していそうなので、ブーンは知恵を振り絞る。

意外と早く、答えを弾き出す事が出来た。数日前、ハインと共に見つけた鉄扉。
図書館にある、隠された謎の鉄扉である。あれはあの時、確かに閉じられていた。
だが、もう一度確認するだけの価値はあるのではないだろうか。
というよりはむしろ、あそこ以外に状況を打破出来るようなところなど、
一つも思い浮かばないのである。

ハインは大丈夫だろうか。だがそれは、考えてどうにかなる問題ではない。
今は、大丈夫であると、信じるほか無いのだ。
彼女は、自分よりも数段頭が切れるような気がする。ならば。おそらくは。

しぃはブーンに寄り縋るようにして腕に抱きついている。
ブーンの行動理念は最早、彼女を守る事に基盤を置くしかなくなってしまっていた。



33: ◆xh7i0CWaMo :2008/06/08(日) 22:59:11.24 ID:HkEVV2Yc0
( ^ω^)「行くお、しぃ」

小さく声をかけ、ブーンは先程上ってきた階段を下り始めた。
怪物が出現する心配はほとんど無いが、それでも慎重に慎重を重ねなければならない。

街路に出ると、辺りは静まりかえっていた。当然と言えば当然であろう。
怪物はもう遠くの方へ去ってしまっている。仮に人間がいたところで、
危機管理能力に著しく欠けている彼らの事だ、餌食になっているに違いない。
そして餌食になった人間は、その表皮を破り、怪物へと姿を変貌させるのだ。
先程、病院で見た脱皮の瞬間が走馬燈のように脳内を駆け、ブーンの背中に怖気が走った。

(*゚ー゚)「だいじょぶ、だいじょぶ……」

怯えたような声でしぃは、何度も何度も呟いている。ブーンを励まそうとしていると同時に、
自分自身をも安心させようとしているのだろう。
彼女は、どうやらブーンより遙かに怪物の恐怖を知っているらしかった。

( ^ω^)「しぃはどうして、あいつらのことを知ってるんだお?」

尋ねた直後に、ブーンはある種の後悔に駆られた。
この質問をすることは本当に正しかっただろうか。この質問は、何か益をもたらすのだろうか。
しかししぃは、曖昧に首を振るばかりであった。

(*゚ー゚)「わかんない。けほ。オトナに言われた。それだけしかわかんないよ。ごめんね」

申し訳なさそうなしぃの表情に、ブーンは安堵せざるをえなかった。



36: ◆xh7i0CWaMo :2008/06/08(日) 23:01:18.30 ID:HkEVV2Yc0
ブーンの推論は的中し、道中で怪物と遭遇する事は皆無であった。
だが、その代わりに幾つもの人間の残骸――抜け殻と出くわした。
それらはまるで、丸められた巨大なビニール袋のように皺だらけで薄っぺらく、
原形を予想することはほとんど不可能な様相である。
だがそのおかげで、ブーンはあまりショックを受けずに先へ先へと進められた。

途中、何度か辺りを見渡してハインの姿を見つけようとするが、無意味だった。
もしかしたら、今通り過ぎたばかりの抜け殻がハインの成れの果てかもしれないというような、
負の思考が、のべつブーンにまとわりついていた。

ようやく辿り着いた図書館は、外観からしてブーンの知る数日前のそれとは、
全く豹変してしまっていた。自動ドアは倒されて粉々になっており、
入り口はぽっかりと穴が開いたようになってしまっている。
怪物がここを襲撃した事は疑いようのない事実であった。

だが、今その怪物の気配や物音は中の方から聞こえてこない。
ブーンはじっくり耳をすませた後、しぃを先導して足を踏み入れた。

内観は、なお一層酷く破壊されていた。
至る所で本棚が積み重なるようにして倒れており、
床には足の踏み場もないほどに本が散乱している。
中には何か強い力で圧迫されたように、カバーがひしゃげてしまっているものもあって、
おそらくそれは怪物が通った痕跡なのだろう。

そして、件の鉄扉は開放されたままになっている。



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