( ^ω^)ブーンは秋葉原に生きるようです

1: :2006/12/10(日) 22:09:48.03 ID:R3jKaPVg0

プロローグ  オタクと秋葉原

男子なら誰しも、小学校の頃、アニメを見たり、ゲームをしていた。 
その現実とはかけ離れた世界に惹かれ、ただ純粋に「面白い」と感じられた。 
学校ではその手の話題で耐えなかっただろうと思う。
しかし、中学校、高校になるにつれ、クラスに異変が起き始める。
「多数派」と「少数派」が形成されてゆく。

多数派  スポーツをしたり、楽器を弾いたりして、音楽や部活動を愛する者
少数派  子供の頃の夢を、いまだに捨てずに心に残す者

この「少数派」が世間一般に「オタク」と呼ばれているのは言うまでもない。
オタクという言葉は、そのような人たちが第二人称を「お宅」と呼称していたことから、
他の者が完全な皮肉をこめて作った語らしい。
つまり、「オタク」は、以前から下々の者として扱われてきたということである。



2: :2006/12/10(日) 22:10:40.32 ID:R3jKaPVg0
  
では、少数派は多数派になることはできるだろうか?
それは特別な環境がない限り不可能だろう。
なぜなら世間が今の多数派の生き方の方が上、とみなしたからだ。 
今の世間は、この考え方が定着している。
人は、常に上を目指すようになっている。(これも古くから定着した考えである。)
歳が経つにつれ、その意識が活発になってくる。
上を目指すのであれば、「下」より、「上」を取る。
こうしてオタクに対する偏見が生まれてきた。



4: :2006/12/10(日) 22:11:16.00 ID:R3jKaPVg0
  
秋葉原──── 古くから電気製品を売りににぎわってきた。
日本の中枢、千代田区にあるここは、人を集めるのに丁度良い土地だった。
だが、この街は、ある驚異と共存する事になる。
技術の発展に伴い、子供の夢であるアニメ・ゲーム文化を
支える製品が誕生し始めた。 そこから歴史は始まった。
そのうち、売りにしていた電気製品も、今は新宿・池袋など、他の都市でも生産できるようになり、
電気製品専門の地位が揺らぎ始めた。
残ったのは、その文化たちであった。
オタクの偏見が強まる中、大衆は、その文化が残った秋葉原を下等とみなし、偏見した。
そして秋葉原は、もう一色に染まるしかなかった。



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